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過去の放送 出演者 時事放談「サロン」 テレビプロデューサーの日々
 
 

片山善博氏「国民の間に求める声があって…」(2016年3月21日放送)

片山:「これはね、歴史をよく学ばなくちゃいけないと思いますね。日本は明治で近代国家を作って、比較的順調にいったんですけど、途中からやはり国全体として正気を失った面がありますよね。説明としては、一部の為政者、軍人や政治家が道を誤ったということになってますけど、私の両親なんかから聞いても、国民の間にやはり熱狂的な雰囲気ってあったんですね。軍歌が流行ったというのは政府が押し付けただけじゃなく、国民の間にそれを求める声があって流行ったわけです。日本は非常に近い歴史の中で、そういう道を歩んだってことがある。ですから、そこをよく押さえて、これから我々の国はどうするかってことを考える。そういう視野の広さが必要だと思いますね」

「おばあちゃんの平和主義」がなぜか、若者の中で「戦力による抑止力が必要だ」と繋がっていく。カバンから資料を取り出すと、日本政治外交史が専門の東京大学名誉教授、三谷太一郎氏のインタビュー記事にこうあった。三谷氏は、第1次世界大戦に参加する理由になった日英同盟(1902年)と対米戦争に繋がった日独伊三国同盟(1940年)を挙げ、「軍事同盟の論理は抑止力です。抑止力はリスクを伴います。今日といえども、それは同じだと思います。」「私は、はっきり言うと、戦争によって国益は守られない、戦争に訴えること自体が、国益を甚だしく害すると考えます」(『朝日新聞』2014年6月10日付)と訴えていた。しかし、この歴史を踏まえた「戦力による抑止力は危険である」との主張は若者には届いていないのだ。

バスに乗り換え窓外を見ると、両脇に桜並木の続く参道では、若いカップルやお年寄りの夫婦らがさかんに満開の桜の下で写真をとったり楽しんでいた。鳥居の前にはその人々が列をなし、賑わいを見せていた。

もう一つ、番組の若者の議論で気になっていたのは、1000兆円を超える国の借金を抱える中での消費税増税の問題だった。国民一人当たり800万円。いつのまにやらの負担に若者たちは、「例えば消費税2%上げたら4兆円しか税収増えないと。それじゃ全く意味ないと思って。例えば社会保障の枠組みをまず変えて、それでいくら足りないのかという議論をしてから」「年金問題ってあるじゃないですか。あれって政治家は高齢者の方にばらまいてるじゃないですか」。あげくの果てには、女子学生は「高度経済成長を体験した人から、みんな未来に希望を持っていたのに、あなたたちかわいそうだねって言われることがあるんですけど、生まれたときからこれだから、なにがかわいそうなのかわからないっていうのが正直なところで」と語り、男子学生が「ざっくり言うと、僕たちの世代は日常的には豊かでモノもサービスもあふれている。ないのは未来に対する希望だけだ」と声を荒げたりもした。

そんな、次の世代につけを残さないための消費税増税だったのだが、ここにきて見送りの検討が、新聞の一面の頭をかざっているのだ。官邸では外国のノーベル賞学者などを招いての意見交換会が開かれ「先送り」の意見が相次いだりと、あたかも2014年11月の「消費税見送り」の表明とともに、衆議院解散総選挙に踏み切った時の「デシャブ(既視感)」の空気が満ち満ちているのだ。スタジオでは若者の様子に片山氏が「不信感を通り越して、諦めから話が始まっている印象だ」と驚き、政治記者として長い間若者と向き合ってきた毎日新聞の与良正男専門編集委員は若者の立場に思いを寄せた。


与良正男氏「生まれたときから」(2016年3月21日放送)

与良:「18歳になる人の18年前っていうと1998年で、金融危機と言われた年なんですね。橋本龍太郎政権下で実質マイナス成長に転じる。そういう時に生まれ育って、彼らはもちろん高度経済成長も知らないし、バブルもしらないわけですよ。生まれたときからこうなわけですよ」

さまざま思いは広がり、カバンの中から本を手にすると、作家のミヒャエル・エンデ氏は「時間の戦争」の怖さを訴えていた。「私たちは、わが子や孫に向かい、来る世代に対して容赦ない戦争を引き起こしてしまった」「だが、子孫たちは応戦できないから、私たちはこのままさらに進めてゆく」(『エンデのメモ箱』岩波書店、96年刊)。エンデ氏は環境問題を念頭に「時間の戦争」を説いたとされるのだが、かつて「子供のクレジットカードで買い物をしていていいのか」と国の借金を嘆く声が広がり、消費税引き上げを民主、自民、公明の三党合意(12年6月)で決めた機運はもはやない。4年前を思うと、「消費税増税先送り」を検討する今、自分の足元でもまさに「時間の戦争」は始まっているのだと思えてきた。

バスを降りて、その敷地の入り口からは徒歩で、小高い丘を登っていかないとならないのだが、敷地の真ん中には小川が流れ、その両脇に桜の木が300メートルほど植えてある。小川沿いの小道には10メートルおきくらいに桜の木があって、満開のトンネルの下を歩くような塩梅で、どこか幻想的な気分にもなってくるのだ。

何回か迷って15分ほど歩き、丘の上にある後藤田正晴元副総裁の墓にたどり着いた。間口7メートルほどの玉砂利を敷いた墓地には、灰色の墓石で「後藤田家」とあり、脇に子供の背丈ほどの墓碑がある。そこには「政界引退後日中友好に務め、自身の戦争体験から来る平和への強い思いが一貫した政治信条だった。平成十七年、九月十七年没」とあった。

あたりを掃除して、花を供えてお線香に火をつけると、煙が筋となって立ち上り、ジャスミンの香りがひろがった。時折「ほーほけきょ」と鶯の声がする中、持ってきた缶ビールを飲みながら、番組での発言をまとめた「後藤田正晴 日本への遺言」(TBS「時事放談」編、毎日新聞社、05年刊)を開いてみた。

番組最後の出演となった本番前の打ち合わせでの発言は、「どうしても言っておかなければならないことがあるんだ。これは遺言だからな」(05年8月21日)。そして、「戦後60年振り返ってごらんなさいよ。アメリカぐらいね、戦争している、あるいは海外派兵している国はありませんよ。朝鮮戦争からベトナム戦争、それからアフリカでの戦争、中東での戦争、中南米の戦争。毎年平和だって言って、どっかで戦ってる。これにね、いつまでもあんたお付き合いできますか?だから僕はね、例の、集団的自衛権か、これの行使っていうのはね、それはちょっと考えたほうがいいよ」(04年12月5日)後藤田氏は13年前になる番組の立ち上げから参加してくれた。自ら戦争を体験し、権力の中枢のありようを見続け、建前のきれいごとを許さない思いをいつも語ってくれたっけ。

しかし、その集団的自衛権は限定的な形とはいえ施行され、さまざまな心配はそのまま「現実」のなかに取り込まれてきたわけだ。そして本の中には「やはりどんな時代になっても立場の弱い人、気の毒な人は出ている。ならばそういう人に対して政治の光をどう当てるかということは、政治を担当する者の大きな責任だと思う」(04年4月25日)ともあった。

存外に時間が経ち、陽も西の方に傾き始めていた。満開の桜の下、小川のなだらかな坂を下ると、さっきいたあたりから、あの懐かしい声で「しっかりしなさい」と聞こえてきた。

※本原稿は調査情報5〜6月号に掲載されています。

石塚 博久 (いしづか ひろひさ)
'62 東京都足立区生まれ。早稲田大学卒業後、'86日本経済新聞社に入社。大阪、名古屋、仙台支局(このとき、「みちのく温泉なんとか殺人事件」に出るような温泉はほとんど行った“温泉研究家”でもある)に。
東京本社政治部で政治取材の厳しい(「虎の穴」のような)指導を受け、新聞協会賞(「閣僚企画」共著)も。
'96TBS入社後は、報道局政治部記者、「NEWS23」のディレクターを経て、「時事放談」制作プロデューサー。

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