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過去の放送 出演者 時事放談「サロン」 テレビプロデューサーの日々
 
 

半藤一利氏「言ってる方が、戦争を知らない」(8月9日放送)

半藤: いやあ利己的な考え方じゃないですよね。戦争というものを知っている私たちから言わせれば、戦争に行きたくないというのは当たりまえのことですよね。これ言った方が若い衆院議員の方なんでしょうよ。戦争を知らないんですよね。

そもそも今回の法案では、抑止力という軍事力だけを安倍さんは強調してるんですが、やっぱり外交力というのが当然抑止力にあるんですよね。つまり軍事力と外交力とが相まって、初めて抑止力になる。

これ、変な話ですが、同盟を結んで強化すると、かえって抑止力を危なくするというのが歴史的事実なんですね。例えば日独伊三国同盟を結ぶということは、日米戦争を起こさない為の抑止力なんだと当時言われたんですよ。ところが、あれを結んだことによってかえって戦争への危険性と言いますか恐怖を早めたと。安保法制を通す為に強いことを言うのは、かえって危険だと私は思いますね。

確かに、国会の議論は国民の不安を解消するものとは程遠かった。安保関連法案の衆議院平和安全特別委員会での「採決強行」の時、私は委員室にいた(7月15日)。眼前では民主党の辻元清美議員が「アベ政治を許さない」と書かれた紙を振りかざしながら「昨日も2万人と言われる人がデモを行いました。これを見たことありますか」と聞くと、安倍総理は「それに似たようなものを見たことはあると思います。いわば報道等で見たことがあります」ととぼけてみせ、どこからか「ははは」と笑い声がしたりした。

正午近くなると何やら委員長の机の上のコップを職員がすっと片づけたりする一方、野党議員も何やらさらに増えだして、記者席の前まで立つ状態になった。委員長が「もうちょっと後ろに。ちょっと近すぎるので」と言うと、「恐怖感、覚えているんだな」などと話したりし、後ろ手に「アベ政治を許さない」の紙を1人1枚で配りだし「カメラあるから向こう側に集中しましょうか」「いや回り込むからこっちでいいよ」などと「準備」を始めた。

そして共産党の質問が終わり、委員長が「質疑を終局することに賛成の諸君の起立を求めます」と声を張り上げると、起立する自民党、公明党の議員と「アベ政治を許さない」「強行採決反対!!」との紙をかざして委員長席に駆け寄る野党議員で騒然となった。それでも怒号の中での自民党の「賛成討論」は続き、「お前ら、討論の邪魔するな」「何やってんだー」と罵声が飛んだ。いよいよ法案の採決なのだが、政府の法案2本と維新の党の法案2本があるので大混乱。「起立求めます」と委員長が言っても、「何をだっ」とのヤジが飛び、委員長がなにか叫ぶと、自民党と公明党の理事が両手を大きく振り上げ、それに合わせて自民党と公明党の議員が立ち上がり、いったん着席すると、もう一度両手を振り上げてまた立ち上がっていた。そして、委員長が何やら叫んで、退席したのが12時25分。どうやら安保関連法案が委員会で可決された瞬間だった。

今回の村山氏の出演については経緯があった。窓口となる娘さんと連絡をとると最初は日程が立て込んでいるのでと断られたのだった。残念に思っていると翌日改めて連絡があり「実は、体調のことを心配してお断りしたのです。実際、路上で演説した翌日も起き上がれなかったりしたもので、約束する自信がなかったのです。すみません」とのことで、「それなら仕方ありません」と応じると「いえ、本人が『役に立つならなんでもやる』と強く言うものでよろしくお願いします」というのだ。そして万が一、体調を崩した場合に備えて、「代役」を事情を話してほかの人にお願いする一方、連日、娘さんに連絡をとり体調をうかがいながらの出演だったのだ。スタジオでの村山氏は顔を紅潮させて語り続けた。


村山富市氏「70年間きているものを」(8月2日放送)

村山: やっぱりね、国連では個別的自衛権と集団的自衛権が認めてあると。で、どこの国も両方持ってるんだけど、日本の国は憲法を持っているからね、憲法が集団的自衛権を認めないんだと、というのでこれまで70年間きてるんですよ。

それを日本を取り巻く最近の状況の変化の中でね、何かあった時これで良いのかと、大変厳しいものがあると、備える必要があると言ってですね、内閣が勝手に出来るというふうに憲法解釈を変えてですね、やろうとしてるわけですから。しかも国会の中でいろいろ議論してるけども、質問に対してまともに答えてなくて、自分の言いたいことをぺらぺら喋ってるだけじゃないかと。だから何べん聞いても個々の皆さんには分からない、理解できないっていうんですよ。僕らも聞いてそうなりますよ。そういうところに不安が起きてるんじゃないですかね。

やっぱり70年間平和憲法を守ってね、今日まで日本はこれだけ平和な経済の発展も遂げてね、国民の皆さんも平穏に暮らしてるわけでしょ。それをね、危機を訴えて備えるという、戦争が出来るような道にも通ずる方向に変えていこうというやり方を、非常に不安に思っておると。

だから世界の情勢が仮にどうなろうともね、日本はやっぱりこれまで70年間、平和憲法を守って世界に互してきたんですよ。世界も認めてるわけですね。それをことさら変えるってことはね、ある意味では日本の在り方を基本的に変えていくことになるんでね。こんなことはね、安易にやるべきではないと。絶対に認められないというのが私の気持ちです。

この日は、せっかくだからと収録の後、みんなでスタジオで記念撮影をしたりした。村山氏と控室で話していると、なぜか話題は昔話となり、かつて村山氏が予算委員会の社会党筆頭理事だった頃、担当だった私が酔っぱらったまま夜回りの取材に行き、迷惑をかけたことなどを話してすごした。懇談中に私が眠りはじめ、冷えちゃいけないと同居していた娘さんが毛布を差し出すと「ありがとうございます」と言って、懇談が終わるまでそのまま寝てしまったこともあったのだ。「そうじゃったのう」などと目を細めてくれたが、そのあと「今は国会がなあ」とため息をついた。そして、「今に見てろと。今度は違うから。参院選だってあるし。そのあとの選挙だってあるし。見てろと。みんなそう思っちょるんだ」と、自らに言い聞かせるように語った。車まで見送ると「あんたも体に気を付けるように」と言い残して車に乗り込み、テールランプの赤い光を残して消えていった。


※本原稿は調査情報9〜10月号に掲載されています。

石塚 博久 (いしづか ひろひさ)
'62 東京都足立区生まれ。早稲田大学卒業後、'86日本経済新聞社に入社。大阪、名古屋、仙台支局(このとき、「みちのく温泉なんとか殺人事件」に出るような温泉はほとんど行った“温泉研究家”でもある)に。
東京本社政治部で政治取材の厳しい(「虎の穴」のような)指導を受け、新聞協会賞(「閣僚企画」共著)も。
'96TBS入社後は、報道局政治部記者、「NEWS23」のディレクターを経て、「時事放談」制作プロデューサー。

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