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過去の放送 出演者 時事放談「サロン」 テレビプロデューサーの日々
 
 

野中氏「戦死者が出る」(3月29日放送)

野中: 自衛隊を海外に出して活動する範囲を広げたらね、必ず戦死者が出るんですよ。戦争なんです。戦争をやったら必ず犠牲者が出るし、自衛隊の中に亡くなる人が沢山出るんですよ。70年というのは何の為にあったんだと。70年前の犠牲とはどのようなもんであったかが十分に理解されないままに、戦争へ戦争へと日本が進んでいくというのは、私のように戦争を僅かでも知っている人間がこうして生きておるのは、本当に今のような日本を見たくないという気持ちで、しかも亡くなった人に申し訳がない。どうして私はこの世に生き残って、これを止めることも出来なかったのかと思って、恥ずかしい思いがしてます。

前の日、安倍総理は沖縄の普天間飛行場の辺野古移設問題について「一日も早く普天間の危険を除去しなければならないとの観点から、今工事を進めているのでございますが、すでにある法令にのっとってこれは粛々として進めているわけでいるわけでございまして」と、翁長雄志沖縄県知事が「上から目線だ」と反発していた「粛々」との言い回しをしていた(4月8日)。菅義偉官房長官が、記者会見で今後は使わないとしていたのにだ。予算案審議の最終日で沖縄選出の維新の党の儀間光男議員が「粛々という言葉の語源、意味をとってみたら、雑音に耳を隠すことなく、とあるんです。そうなると沖縄の声は雑音になってしまう。ショックを受けております」とただすと、委員会室は静まり返った。これに安倍総理は「その言葉が上から目線的な雰囲気があるのでやめてもらいたいということであれば、私もあえて使う必要はないと、このように思っております」と答弁。これに儀間氏は「差別をしている人は差別をしたという意識はないそうです」と言葉を継いだ。この安倍政権の沖縄への姿勢は、野中氏が強く懸念していることだ。


野中氏「沖縄は・・・」(3月29日放送)

野中: 政府は翁長知事をはじめとする沖縄県民の大きな願いに対してなにひとつ手当をすることもなく、知事が就任の挨拶に2度来ましても、総理も官房長官も誰も会わない。こんなことでね、戦後70年という大きな節目にね、沖縄の人がどれほど大変な傷跡を残してきたか、犠牲を残してきたか。時に沖縄はね、あの戦争において日本でたったひとつ地上戦が行われたとこなんです。しかも軍人も県民も、また米軍もそれぞれ大きな犠牲を払って、大変なまだ歴史の傷跡が残っているわけなんです。そのことを考えると、挨拶に来た翁長知事に政府が過去の多くの問題を直視して、そういう中から丁重に話合いの場を設けるべきであったと私は思いますが。2回もそれを覆して、そうして粛々などと言いながら強引に辺野古の工事を進めていくというのは、国と地方のありかたを全く考えない今の安倍政権の実態だと国民のみなさまに理解をしていただきたいと思うんです。

あの時、野中氏は目に涙をためていた。


野中氏「大きな犠牲の上に・・・」(3月29日放送)

野中: 橋本内閣の時にね、普天間の代替基地で辺野古の話が出てきたんです。けれどもね、名護の市民には強い反対があったんですが、当時名護市長の比嘉鉄也さんが橋本(龍太郎)総理のそばに来られてね、ちょうど私もそのそばにいたんですが、『普天間の転換には辺野古を私が市長を辞めることによって受け入れます』、このように言われてね、橋本総理は思わず比嘉さんの手を握ってね涙をこぼされた。その場面を私は見てきたんですよ。あとに続いた助役さんであった岸本(建男)さんが市長になられてね。一所懸命に名護の問題に取り組んでいただいたんですが、岸本さんも地域の反対やら自分の立場等を考えて、とうとう病気になって亡くなっていかれたんですよ。大きなそういう犠牲の上に辺野古受け入れというのがあったということを私は、政府をはじめとして県民の皆さんにも理解を求めたい。

会社に戻り、乱雑に散らかった資料を整理していると、脇のテレビではニュースが始まり参議院本会議場で新年度予算案が可決される場面が映った。一般会計総額が96兆3400億円で過去最高だという。手元の沖縄での菅官房長官と翁長沖縄県知事の会談を報じる新聞の束をめくっていて、辺野古の受け入れを表明した当時の岸本名護市長の奥さんの記事に目が釘付けになった。

「岸本氏は06年に62歳で死去。妻の能子さん(67)の脳裏には、移設問題で悩む夫の姿が焼き付いている。能子さんによると、野中氏は昨年、岸本家を訪れた。線香を手向け、『早くに亡くなったのは、つらい選択をさせた我々のせいだ』と涙を流したという。『基地受け入れを求めた側の葛藤を感じた』と能子さんは話す」(朝日新聞15年4月6日付)

野中氏は今でも沖縄に行っているのだ。スタジオで涙の意味が分からなかった自らを恥じた。


※本原稿は調査情報5〜6月号に掲載されています。

石塚 博久 (いしづか ひろひさ)
'62 東京都足立区生まれ。早稲田大学卒業後、'86日本経済新聞社に入社。大阪、名古屋、仙台支局(このとき、「みちのく温泉なんとか殺人事件」に出るような温泉はほとんど行った“温泉研究家”でもある)に。
東京本社政治部で政治取材の厳しい(「虎の穴」のような)指導を受け、新聞協会賞(「閣僚企画」共著)も。
'96TBS入社後は、報道局政治部記者、「NEWS23」のディレクターを経て、「時事放談」制作プロデューサー。

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