●前原誠司氏「一歩踏み出した」(2月8日放送)
なにやら、事件を審議する部屋では騒然とした雰囲気の中「水掛け論」のような状態が続いた後、議論は「戦後70年」の談話に変わった。先立って、安倍総理はNHKの番組で「今まで使った言葉を使わなかった、あるいは新しい言葉が入ったという細々とした議論にならないよう70年談話は70年談話として新たに出したい」とし、「心からのお詫び」などのキーワードを同じように使うかについて「そういうことではない」と語っていたのである。村山談話、小泉談話の「キーワード」を使うのかどうか、細野氏は村山談話に出てくる「国策の失敗」について、開戦前にあった敗戦必至というシュミレーションと、それを政府が採用しなかった歴史を分析した「昭和16年の敗戦」(猪瀬直樹83年刊)という本を引用し、まず石破創生大臣に考えをただした。この本は石破大臣の推薦の書だということで石破氏は我が意を得たりと「きわめて示唆に富む本であり、多くの人に読んでほしい」と滔々と話し出したが、安倍総理はそのタイミングでなぜかトイレに立ったりした。
戻った総理に細野氏が「1941年にシュミレーションして敗戦がもう間違いないと言われていた。そして、それを政府は当時採用しなかった。やはりどう考えても国策を誤った瞬間は、この時にあったと思います。やはり我が国は、『国策を誤った』と、このことについて総理としてはっきりと認めるべきではないか」とただすのに対し、安倍首相は「歴史をもう少し俯瞰した見方も大切であろうし、世界全体を見ていくという、俯瞰、鳥瞰していく目も大切ではないか」などと答弁した。そして、細野氏が「国策を誤ったことについて総理は認めないんですかっ」と声を荒げても、安倍総理は「歴史については、どのようにその歴史を見ていくか、ということについては歴史家に任せたい」とし、「国際社会の中で決して孤立してはならないというのも原則の一つではないか」などと話題を変えたりした。民主党席からは「何を言ってるんだっ」などと盛んにヤジが飛び、細野氏は「総理は歴史の修正主義者だとの批判を免れない」と質問を終え、なにやら後味の悪い雰囲気が部屋をおおった。
そして、質問が辻元清美氏に変わり、「総理は『全体として過去の歴代の談話を引き継ぐ』とおっしゃってます。この『全体』というのはいったいどういうことなんでしょうか」とただすと、「歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいるわけです。今後も引き継いでいく考えであります」と答弁。それではと、辻元氏が村山談話と小泉談話の共通する歴史認識の部分である「植民地支配と侵略」「痛切な反省」「心からのお詫び」などのキーワードにラインマーカーでしるしをつけたパネルをだして、「このラインマーカーのところを引き継いでいくという認識でよいですか」とただしても「歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいるということでございました。今後も引き継いでいく考えでございます」と繰り返した。「やれやれ」と思った。「歴史認識」については古賀氏が激しく語っていたっけと思った。
●古賀誠氏「必ずキーワードは踏襲すべき」(2月1日放送)
そして、安倍総理は、昨年末の選挙後初の施政方針演説に臨んだ(2月12日)。会社で番組の準備をばたばた進めていると、机の脇のテレビで安倍総理は演説の冒頭「非道かつ卑劣極まりないテロ行為を断固非難します」「テロと戦う国際社会において、日本としての責任を毅然として果たしてまいります」と語気を強め、胸をはって議場を見回した。思わず、脇にあった、「時事放談」での後藤田元副総理の「語録」をまとめた本を開いた。(『日本への遺言』毎日新聞社05年刊)
「戦後60年振り返ってごらんなさいよ。アメリカぐらいね、戦争している、あるいは海外派兵している国はありませんよ。朝鮮戦争からベトナム戦争、それからアフリカでの戦争、中東での戦争。毎年平和だって言って、どっかで戦っている。これにね、いつまでもあんたお付き合いできますか」(04年12月5日)
「この戦そのものがね、間違った戦だったと思いますね」(自衛隊のイラク派兵について聞かれて04年12月5日)
「戦後60年の間ですね、日本のこの自衛隊によってですね、他国の人間を殺したこと、ないんですよ。それからまた他国の軍隊によって殺されたこともない。先進国でこんな国はね、日本だけですよ。これは本当にね、誇るべきことだと思う。まさに平和主義のいいとこなんですよ。これだけはやはりね、頭の中において政治の運営をやってもらいたい」(05年1月2日)
・・・・・。本を閉じて、「あれから10年も経っているのに」と思った。
※本原稿は調査情報3〜4月号に掲載されています。
◆石塚 博久 (いしづか ひろひさ)
'62 東京都足立区生まれ。早稲田大学卒業後、'86日本経済新聞社に入社。大阪、名古屋、仙台支局(このとき、「みちのく温泉なんとか殺人事件」に出るような温泉はほとんど行った“温泉研究家”でもある)に。
東京本社政治部で政治取材の厳しい(「虎の穴」のような)指導を受け、新聞協会賞(「閣僚企画」共著)も。
'96TBS入社後は、報道局政治部記者、「NEWS23」のディレクターを経て、「時事放談」制作プロデューサー。

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