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●「国会の議論が基本」野中広務氏(4月27日放送)
それから、2週間後、今度は海江田万里民主党代表が党首討論で安倍総理に挑むことになった。今度は参議院の委員会室で、始まる30分前から、記者席はおなじみの顔ぶれがならんだ。いつもテレビ朝日の昼の情報番組に登場する解説委員は、なにやら採点したレポートの束にコメントを書いてるし(この人いつもそう)、読売テレビの情報番組にでている解説者は隣に座った後藤謙次氏に「ご無沙汰してます」などと腰低くあいさつしてるし、「今度7月初め、岡田さんとの会合、顔出せる?」などと話しかけてる古からの女性記者がいたりなにやらにぎやかだ。
そんな間に安倍総理が登場すると向かって左側の政府・与党席いっぱいに詰めかけた議員から、なにやら雄叫びと拍手が沸き起こり、党首討論が始まった。向かって左側の野党の質問席に立った海江田氏は、政府・与党内で検討している15の事例に対して「一つ一つ、これは従来の個別的自衛権について再定義によって対応が可能だろう。あるいは、これは現実の可能性も低いし、これは無理だねと、一つ一つ性差をしている段階であります」などと言うものだから迫力に欠け、政府与党席からさんざんやじられる結果になってしまった。そして、その質問に約10分も費やした後、安倍総理に「はたして立場がどこにあるんだかよくわかりませんでしたね」と、言い返されたりした。そして、安倍総理は「南シナ海においてはまさに力でもって現状を変更しようという試みが続いているのが事実でありますっ」「日本の上空においても自衛隊機に以上に接近をするという事態も起きているっ」「さらに近隣国は日本をミサイルの射程に入れてかつ核開発をしているっ」と身振りを交えて次々あげて「こういう中で切れ目のない防衛を行っていく。かつ同盟国との関係を強化し、強いきずなによってしっかりと抑止力を利かしていく必要がありますっ」と声を張り上げると、大きな拍手が巻き起こったりした。海江田代表の代表質問は山場を作れないまま、拍手と怒声の中、約25分の質問は終わった。
●「平和を弄ぶんじゃない」野中広務氏(5月25日放送)
会社に戻って久しぶりに、野中氏が18年前に出した自叙伝『私は闘う』(文藝春秋)を開いてみた。「政治家の条件」の章は「大阪の鉄道局から応召された私は、終戦を高知の護土二二七五六部隊というところで迎えた。(略)あと半年か、一年、戦争が続いていればおそらくその後五十年の人生はなかった。」と振り返り、20歳の野中氏が坂本竜馬の銅像の前で自決しようとして、将校から「死ぬ勇気があれば、これから日本の国を建て直す勇気に変えろ」と諭されて思いとどまったとのエピソードで始まる。そして、自衛隊のPKO派遣について「私のところに説明に来た外務省の官僚には『それほど安全ならあんたらの役所から半分行けよ。安全だ、安全だといって、現地に行くのは自衛隊だというのはおかしいじゃないか』と言ってやった」とあった。
すっかり暗くなった机脇の窓を梅雨の雨つぶが流れ落ちていた。本の中で野中氏は「のべつまくなしに自衛隊が海外に出ていくことが、国民を無神経にしてしまっていることがとても心配だ。そうした神経の磨滅が、次の世代に日本を不幸な戦争への道へと導いていくことはないだろうかという恐怖が私にはある」と語っていた。怖い形相でスタジオで語気を強めていた形相が目に浮かんだ。そういえば、1か月ほど前会社で開いた「10周年記念パーティー」であいさつに立った野中氏が、「10年前自分のとこに出演交渉しにたとき、企画書には『遺言』とありました」と、話していたのを思い出したりした。この10年間、いつだってスタジオでは「遺言」を言おうとしていたことを知った。
※本原稿は調査情報7〜8月号に掲載されています。
◆石塚 博久 (いしづか ひろひさ)
'62 東京都足立区生まれ。早稲田大学卒業後、'86日本経済新聞社に入社。大阪、名古屋、仙台支局(このとき、「みちのく温泉なんとか殺人事件」に出るような温泉はほとんど行った“温泉研究家”でもある)に。
東京本社政治部で政治取材の厳しい(「虎の穴」のような)指導を受け、新聞協会賞(「閣僚企画」共著)も。
'96TBS入社後は、報道局政治部記者、「NEWS23」のディレクターを経て、「時事放談」制作プロデューサー。

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