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過去の放送 出演者 時事放談「サロン」 テレビプロデューサーの日々
 
 

「私人と公人」丹羽宇一郎氏(前中国大使1月26日放送)

丹羽: 私人と公人というのがありましてね、遺族の方とか関係者が私人として静かに英霊に対して崇拝の念をもって参拝されることに反対する人は誰もいないですね。誰もそれを非難する国もないでしょうし国民もそうだと思うんです。

ただ、公人として日本を代表する総理が、そういうことをされる事については色々な問題があるんですよね。憲法上の政教分離というものはどうなんだ、天皇陛下も1975年以来色々お考えの上で参拝されてない、あるいはサンフランシスコ条約とポツダム宣言と歴史的な事も含めまして、いろんな議論すべき点がある。日本の総理として、日本を代表してということになりますから、周辺諸国あるいは世界の各国というものも十分配慮して慎重におやりになるということだと私は思いますね。

エスカレーターで2階に上がると、「映像ホール」があり、「私たちは忘れない―感謝と祈りと誇りを」とのビデオが上映されていた。「日清日露の大戦から大東亜戦争に至るまで…。わが国近代史の戦争を、当時の貴重な映像で再現し、東京裁判で歪められた歴史の真実に迫るドキュメント映画」(50分作品)とある。会社での打ち合わせの時間も迫っていたので、まずは、展示を回ることにして先を急いだ。展示はまずは、「武人のこころ」から始まる。光が当てられた「元帥刀」が出迎え、和歌などからなる展示で「先人たちがいかにしてこの国を守ろうとしてきたのか、その『こころ』が描かれています」とあった。そして「明治維新」、「西南戦争」とパネルや様々な展示品が続き、「日清戦争」から「支那事変」のゾーン。

途中にあるモニターでは「支那事変総攻撃」と題した、山道を馬で進軍する当時のニュース映像が流れ、やにわに「勝ってー来るぞと勇ましくー」などと、流れたりして少しびっくりしたが、とにかく「軍服」やら寄せ書きの日章旗など、展示品が多く、パネルも豊富で丁寧な説明になっていた。

拝観者は、平日だと言うのにお年寄りに混じって一人できている若者もかなり目立つのだが、「戦争」の遺品などを前に私語はほとんど聞こえない、厳粛な雰囲気に包まれていた。そして、1階の「大東亜戦争」のゾーンは5つの展示室からなっていた。「菊水作戦」の説明では「特別攻撃とは組織的『必死』の体当たり攻撃で大きく分けて、爆装航空機による航空特攻と人間魚雷『回天』による水上特攻などがある」と、あったりした。そんなときに、隣にいた若い外国人女性の携帯の呼び出し音がやにわにけたたましく響いて、驚かされたりした。

そして、大展示室入ったのだが、眼前には「全長14.75m、直径1m」という黒光りする「回天」が目に入ってきて、また度肝を抜かれた。天井窓からの日差しが注ぐその展示に近づいてみると、中央のやや後ろに、上に突き出た「特眼鏡」と「ハッチ」のある部分があり、脇にはそこに人が座る図解があって、「ここに入った時には大変な気持ちだったろうなあ」と、しみじみ思ったりした。解説には「一発で巨艦も轟沈させる威力を持ったこの必死の兵器により身を挺して祖国を護ろうと百余人の若人たちが次々と南溟に散っていった」とあった。で、気づくとその脇に「ボタン」とヘッドホンがあり「回天の勇士」が出撃前に密かに録音した遺書がヘッドホンで聞こえるとのこと。とても、そんな勇気はなく、「ボタン」を押せずにそのままその場を後にした。

そのほかにも大きなホールには、「長さ5.5m・幅2.3m」のちょっと小ぶりに見える「日本陸軍の代表的な戦車」であるという「九七式中戦車」や、「戦艦『大和』主砲弾」や、「戦艦『陸奥』の副砲」や、「艦上爆撃機『彗星』」などがならんでいた。戦争を経験していない身にとっては、圧倒される「本物の戦争の品々」であり、「当時」の若者の「純粋な気持ち」に胸を打たれた。そして、最後の展示に向かいながら、この隣の「本殿」を「今」日本の総理大臣が参拝したことで、アメリカとの関係までギクシャクしている事態となったことに、元外交官の田中均氏が警鐘を鳴らしていたことを思い出した。


「アメリカの対中政策と日本の対中政策が」田中均氏(2月2日放送)

田中: この間、オバマ大統領の一般教書演説がありましたよね。あの大半が国内の再興なんですね、失業率を下げていかに成長を上げるかと言う話。アメリカは今、国内の課題に対して相当深刻に向き合っていると思う。オバマさん自身も今年中間選挙ですから、そういう意味では国内に集中せざるを得ない。そういう時期に、今最大の国際社会の問題といえばやっぱり中国なんですよ。中国がどんどん台頭していく。これはものすごく新しい状況なんで、いかにして中国と向き合っていくかは極めて重要な課題なんだけれども、以前のアメリカのように、単に軍事力で抑止していくという事ではもうないんですよ。中国と協力しながらやっていくのがやっぱり基本なんですね。これはイラク、アフガンの後遺症があるんですけど、それでアジア太平洋を見た時に、日本は中国とかなり厳しいところにきてると。ですからそういう意味で今のアメリカの対中政策と日本の対中政策って合ってないんですよ。尚かつ、これからの両国の同盟関係にとっても中国とどう向き合っていくかが一番大事なんですね。ところが、その政策が合ってないとなると、やっぱり日米間でも隙間風が吹いてるじゃないかとなってしまう。

だから、私が本当に大事だと思うのは、日米は同盟国だからアメリカが日本を見捨てるっていうことはないんです、基本的に。だけど、対中政策をどうやって協調していくかというのが、これからの日米関係の最も大事な課題。だから、アメリカは『失望』したという言葉を使ったわけですよね。

そして、最後の展示が「靖國の神々」だった。4つの展示室には壁いっぱいに亡くなった「軍人」の無数の「御遺影」の写真が縦15cm、横10cmほどのスペースに区切って名前や階級や出身地などを加えて並べてあった。「厳粛」な思いでその前を通り、出口に向かったが、壁の前の台に「御遺影検索ファイル」と書いたバインダーが置いてあるのが眼についた。手垢でところどころ破れた中の紙には、名前と写真のある場所がリストアップされており、「遺族が探すときのものだな」と思ったりした。

で、ふと思い立ち「ある名前」を探してみるとあるではないか。「パネル22右から10上から7」というので、展示室の中をその場所を探してうろうろすることになった。そして、確かにそこには他のたくさんの若い「軍人」らの「遺影」に同じように並んで「陸軍大将 東条英機命 昭和23年12月23日 東京都巣鴨拘置所にて法務死 東京都」とあり、軍服姿の東条元首相がこっちを見つめていた。「戻ってビデオを見るのはよしておこう」。そう思い、私はそのまま出口に向かい、会社の打ち合わせに急いだ。神社を出て「現実の世界」に戻ると、普通の昼下がりのオフィス街の風景が広がっていた。若い女性たちが笑顔でおしゃべりに夢中になりながら、昼休みのランチのお店に急いでいた。


※本原稿は調査情報3〜4月号に掲載されています。

石塚 博久 (いしづか ひろひさ)
'62 東京都足立区生まれ。早稲田大学卒業後、'86日本経済新聞社に入社。大阪、名古屋、仙台支局(このとき、「みちのく温泉なんとか殺人事件」に出るような温泉はほとんど行った“温泉研究家”でもある)に。
東京本社政治部で政治取材の厳しい(「虎の穴」のような)指導を受け、新聞協会賞(「閣僚企画」共著)も。
'96TBS入社後は、報道局政治部記者、「NEWS23」のディレクターを経て、「時事放談」制作プロデューサー。

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