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過去の放送 出演者 時事放談「サロン」 テレビプロデューサーの日々
 
 

「反対がまともな感覚」浜矩子氏(11月24日)

浜: 国民の6割が反対、反対集会も沢山行われている、専門家達も強い反対の声を上げている。このへんが実に正常な、まともな感覚だと思いますね。ですから我々、人々の正常な感覚が前面に出てきた事は非常に心強いと思いますが、それにも関わらず政治家達の世界では、どんどん話が行っちゃう。まるで野党側は、自民党野党支部になったごとき感じで、この辺こうしたほうが良いですか、良いんじゃないんですか、みたいなことしか言ってない。これはやっぱり我々に対する裏切り行為だと思いますね。

このあと、法案は参議院に移り、1週間余りで、結局、修正もないまま成立した。参議院本会議で成立の日、与謝野馨元官房長官がスタジオに現れた。咽頭がんをわずらい、2012年末の選挙は不出馬で政界を引退していた。体調を理由に事務所の秘書さんは慎重だったのだが、本人はここにきて出演を快諾してくれた。よほど思うところがあるのだろう。人口声帯がつけてあって、そこを押さえて肺から息を出し「声」を出すのだ。言葉を一つ一つ搾り出すように語った。


「現職だったら反対する」与謝野馨氏 (12月8日放送)

与謝野: 9・11以降、適正手続きに関する条文、考え方っていうものが各国でないがしろにされてきた。とくにアメリカでは、テロっていう名前が付けば令状もいらない。『お前来いっ』て、オイこら警察みたいのができちゃった。イギリスは無令状だ、中国は判決がおりたら一日二日で公開処刑だ。そういう中でやっぱり日本の刑法とか刑事訴訟法ってのは非常に精密にできていて、人々の人権を守る、こんな素晴らしい物を実は持っているのに、こんなまた訳の分からない法律を作って。例えばアメリカから戦闘機を買うんだけど、秘密が守れなければ困ると。具体的な問題に対応するのは良いんですけど、ぶわっと投網をかけるようなのはよした方が良いんじゃないか。私はいやだな。現職だったら反対する。

鎌倉に向かった。道すがら、秘密法だけでなく集団的自衛権の見直し、武器輸出3原則の見直し、NSC設置、そして尖閣諸島をめぐる中国との関係など、ここにきての「きな臭い」ことがらを一つ一つ考えてみたりした。そして、鎌倉霊園の後藤田正晴元副総理のお墓を目指したのだ。

霊園の入り口から、中を流れる小川沿いの、なだらかな坂道を10分ほど上がると、丘の上にある後藤田氏の墓にたどりついた。7メートルほどの間口の玉砂利を敷いた墓地には「後藤田家」と彫られたグレーの墓石と、「正三位勲一等旭日大綬章初代 後藤田正晴 憲徳院殿東山誠通大居士」と彫られた石碑がたっている。誰かが最近来たらしく、お墓には黄色いユリと薄紫色の洋ランが供えてあった。持参した赤いカーネーションと白い菊の花を加えるとやけに華やかで、眺めるうちになぜかこみあげてきた。お線香にマッチで火をつけるとたちまちいい香りがたって、墓前に添え、手を合わせた。目を開けると紫煙は少し西に傾き始めた晴天の空に昇っていった。かばんから駅で買った缶ビールと、回顧録の『情と理』(講談社・98年刊)を取り出し、しばらく時間を過ごした。回顧録で後藤田氏は官房長官時代のペルシャ湾への掃海艇派遣問題について語っていた。

<中曽根さんからのお話があったときに、私が言ったのは、『ペルシャ湾はすでに交戦海域じゃあありませんか。その海域へ日本が武装した艦船を派遣して、タンカー護衛と称してわれわれのほうは正当防衛だと言っても、戦闘行為が始まったときには、こちらが自衛権と言っても、相手にすれば、それは戦争行為に日本が入ったと理解しますよ、イランかイラクどちらかがね。そうすると敵の交戦海域まで入っていって、そこで俺は自衛だと言ってみても、それは通りますか』と言った>という。そして<もう一つは『あなたこれは戦争になりますよ、国民にその覚悟ができていますか、できていないんじゃあありませんか、憲法上はもちろんだめですよ』と言った。>

そして、後藤田氏は、閣議決定をするかと確認し、<私はサインをいたしませんから>と言って、中曽根総理に派遣をあきらめさせていた。

<なぜ私がそこまで強行に言ったかというと、国民全体がそこまで覚悟が出来ていない。いざとなったら戦になる。それは憲法の問題にもなりますが、これは日本の根幹部分にも関係するよ、ということが頭の中にはあって、ここで軽々にアメリカが言うからといってやるべき筋合いではない、ということです。> 

本を閉じて、あたりをうろつくと、石碑の裏の文字が目に入った。経歴が書かれ、最後には「政界引退後日中友好に努め、自身の戦争体験から来る平和への強い思いが一貫した政治信条であった。平成十七年、九月十九日没」とあった。もう8年もたっていたんだなと思った。そして、番組を立ち上げ前から相談し、番組の中ではいつでも「平和主義」と「弱者救済」を訴えていたことを思い出した。墓前に一礼し「まだまだがんばります」と声にしてみたら、またこみ上げてきた。鎌倉の山に沈みだしていた西日に向かって丘をおりながら、「新しい年もがんばろう」と元気が蘇ってきた。


※本原稿は調査情報1〜2月号に掲載されています。

石塚 博久 (いしづか ひろひさ)
'62 東京都足立区生まれ。早稲田大学卒業後、'86日本経済新聞社に入社。大阪、名古屋、仙台支局(このとき、「みちのく温泉なんとか殺人事件」に出るような温泉はほとんど行った“温泉研究家”でもある)に。
東京本社政治部で政治取材の厳しい(「虎の穴」のような)指導を受け、新聞協会賞(「閣僚企画」共著)も。
'96TBS入社後は、報道局政治部記者、「NEWS23」のディレクターを経て、「時事放談」制作プロデューサー。

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