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過去の放送 出演者 時事放談「サロン」 テレビプロデューサーの日々
 
 

「利害団体が選挙で応援」武村正義氏(7月21日放送)

武村正義: 先般も国際的な外資系の連中とちょっと議論してみたんですが、もう秋の動きを本当に睨みつけてますね。本気で日本が『第3の成長戦略』に手をかけるかどうか睨んでます。やっぱりこれまで規制問題等は先送りされてきた。利害団体がね、選挙で応援してますから、よけい選挙後難しくもなりますね。規制緩和って、要するに応援してもらった団体に矢を向けるようなこともしなきゃならんわけですよ。それを、どこまで真剣にやれるのかどうかってこと。世界からじっと睨まれてますから。真価が問われる状況がやってきたと思いますね。

そんな初登院の翌日、なにやら毎週土曜に渋谷のNHK前が騒がしいという話を聞いた。昼下がり、徒然なるままに行ってみると、代々木公園の先のNHK「スタジオパーク」の前の交差点に白いバンがやってきて、待ち受けていたTシャツ姿の中年の男の人たちが手馴れた様子で準備を始めた。ガードレールに「中国の日本領土(尖閣諸島)への侵略阻止」などとの横断幕を張り、街路樹に「人道に反する韓国の反日政策をゆるすな」などのたて看板を立てていき、日の丸の旗を次々に立てかけた。街宣車からはさまざまな歌謡曲の替え歌が大音量で流れた。近づいていくとビラを手渡された。真っ黒に日焼けした人のよさそうな様子に、「毎週やってるんですか」と水を向けると、「やってるんですよ。みんなボランティアなんですよ」とのこと。話をすると「もちろんいい番組もたくさんあるんですけど……都合の悪いのはやらないんですよねえ」とか。そして汗を手の甲で拭いながら「本当は家にいると怒られちゃうから」と冗談を交えて笑って見せたりもした。なんだか拍子抜けするような好感の持てるおじさんだったので、思わず「今年は暑いから体に気をつけて」と言ってその場を離れた。

坂を渋谷方面に下りながら、戦前、戦中、戦後の歴史に精通する(なんせ『昭和史』が今なお売れているベストセラー作家なわけで)半藤一利氏が、「尖閣諸島」をめぐる「一触即発」の深刻な「日中対立」について選挙戦を通じて議論が深まらず、なおも手立てを見出しえていない状況をしきりに心配していたのを思い出した。


「まるでノモンハン」半藤一利氏(7月14日放送)

半藤: 私はこの中国との対立の問題は、すぐにあのノモンハン事件を想起しちゃうんですよ。ノモンハン事件も国境の問題なんですね。日本側、ソ連側が主張する僅かな空間の争いなんです。それが結局武力でもって解決しようという日本側の意向が強く先に働きまして、あわや日ソ戦争になるところまで大乱戦を4カ月にわたってやっちゃったんです。

正直言えば、同じテーブルについて話し合いをすればもう少し何とかなったと思いますが、テーブルにつかないんですよね、もうね。要するに、日本の私たちは島国ですから、国境の問題でよその国と交渉するっていうことに全然慣れてないんです。で、日本としては、(尖閣は)国有化しちゃったんだと、国境の問題は無いんだと突っぱねておりますからテーブルにつくのは難しいんでしょうけども、ここは何とかテーブルについて話し合いで解決することを両方の国が考えるべきだと思いますよ。

『不測の事態』については、ノモンハン事件の場合も一発で起きたわけじゃないんです。その前から僅かな草原に羊飼いが出てきたりするわけですから、常に小競り合いが起きてたんです。そういう形で両方がエスカレーションしていくんです。すると両方に鬱憤が溜まってきますから、そういう意味じゃ非常に危険な状態が続いてると思いますね。昭和史の折角のいい教訓があるんですから、そこから学んで欲しいなと思いますね。

戦争体験を踏まえて「戦争の語り部」を自任する野中広務氏も、参院選後初の出演の際、しきりに周辺諸国との関係悪化を心配した。韓国とのサッカーの試合で「反日」の横断幕が掲げられたことに嘆いていたのが頭に浮かんだ。


「政治のリーダーシップが…」野中広務氏(8月4日放送)

野中: 競技がフェアでない結果を出したことは残念だと思います。それは政治がですね、正面からこの歴史について行動しようとしないから、スポーツにまで民族的な意識が出てくる。そこを考えなければいけない。

いまや閣僚の戦後生まれが89%までになった。そうなった時に、他国、特に近隣諸国の、あの戦争で迷惑を受けたところに、心と感情が本当に伝わるように、そして日本の反省がそのまま映るように日本がやっていかなければ、日本がなんのために大きな犠牲を払ったのかわかりませんよ。死んでいった人が可哀想だっ。

あの日、2カ月ぶりの出演となっていた野中氏は、収録後、私が出口まで見送りながら「また、よろしくお願いします」と言うと、「選挙が終わったからだろ。選挙中は何言うかわからないと思っていたんだろ」と言ってポンッと私のお尻を軽く叩いた。この時、「何をおっしゃっているんですか。めっそうもないですよっ」と、「越後屋」の商人のように狼狽して言い訳しながら、「全てお見通しなんだな」と改めて感心したりしたのだ。暑い照り返しの中、夏休みの若い男女がゾロゾロとどこへか急ぐ渋谷駅前の交差点にたどりついたころには、「さあ、これからが始まりだ」と思ったりした。


※本原稿は調査情報9〜10月号に掲載されています。

石塚 博久 (いしづか ひろひさ)
'62 東京都足立区生まれ。早稲田大学卒業後、'86日本経済新聞社に入社。大阪、名古屋、仙台支局(このとき、「みちのく温泉なんとか殺人事件」に出るような温泉はほとんど行った“温泉研究家”でもある)に。
東京本社政治部で政治取材の厳しい(「虎の穴」のような)指導を受け、新聞協会賞(「閣僚企画」共著)も。
'96TBS入社後は、報道局政治部記者、「NEWS23」のディレクターを経て、「時事放談」制作プロデューサー。

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