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過去の放送 出演者 時事放談「サロン」 テレビプロデューサーの日々
 
 

「冷徹な計算が裏にある」石破茂氏(2月10日放送)

石破: なぜあの海域で、中国がいろんな行為及び支配を強めようとしているのか。それは日本を見ているというよりも、アメリカ合衆国の海軍力が南シナ海に及ぶということは許さないよ。そしてその隣接の東シナ海も許さないよという中国の確固たる意志があるわけで、そこに尖閣の位置をどう考えますかねという非常に冷徹な計算が裏にある、と考えるのが自然でしょうね

石破氏に続いて前原誠司氏が質問に立ったが、頼りない拍手がパチパチと委員会室に響いた。前原氏は、射撃レーダー問題、週刊誌に書かれた女性問題で辞任した徳田毅国土交通大臣・復興大臣政務官問題、従軍慰安婦問題、靖国参拝問題、「アベノミクス」と、安倍総理を前に果敢に攻めるのだが、なんせ大勢の与党議員に囲まれてのいわば「アウェー」状態。自らに言い聞かせるように、慎重な言い回しを心がける安倍総理を追い詰めることのできないもどかしさを見せていた。石破氏と一緒の翌日の番組収録では、「金融緩和は民主党でもやっていたのだが」と悔しがったが、石破氏に「論より証拠」だと言い返されたりした。


「やってなかったことはない」前原誠司氏(2月10日放送)

前原: まあやってなかったことはないんです。日本再生戦略という成長戦略をつくって実行していた。そして機動的な財政運営はやってました。また、金融緩和、特に私が経済財政担当大臣になって日銀の政策決定会合に3回連続出て、白川(方明)さんの時期では初めて2カ月連続の金融緩和をやって、77円から80円ぐらいまで落ちてきたという面はありました。あと日銀と政府の共同文書をまとめたのが、これは野田政権が初めてですから。そういう意味では、我々は何もやってなかったわけではない。

ただ一つ言えるのは、やはり金融緩和について安倍さんが人一倍強い意志を持っておられたということ。それからアメリカの景気が良くなってきた、「財政の崖」が回避された。中国が持ち直してきた。ヨーロッパが安定してきたという外的な要因。安倍さんの強い思いと、選挙で勝ったことによって日銀が言ってみれば宗旨替えをしたということの中で、株高・円安になっている。これは、私は安倍さんのリーダーシップを認めなきゃいけないと思います

「圧勝」した自民党。そして「アベノミクス」への期待を集め「株高・円高是正」の「実績」を背にした安倍政権。一方で「惨敗」し、消費税増税で「財政再建」の筋道をつけた実績も、自ら掲げる自信さえも失ってしまった民主党。通常国会の冒頭の予算委員会で、そんな姿を目の当たりにし、ふと、「追い風の自民党の中で、右傾化が進んでいる」と、番組で野中広務氏がしきりに心配していたのを思い出した。自民党副総裁の高村正彦氏が困惑した表情で語った時だった。


「政治家が戦争を知らない」野中広務氏(2月3日放送)

高村: ハトとかタカとか、よくわかりませんがね。私は国会議員になった時は、国防部会なんかへ行ってたからタカ派と言われたんですけどね。最近は、中国とうまくやらなきゃいけないと言ったらハト派と言う人もいるしですね、どうなんですか。私はどっちなんですか(笑)

野中: やっぱりね、今の政治家は戦争を知らない、戦争の悲惨さを知らない、そういう世代に変わってきたんですよね。過去の傷を償って、そして東シナ海あるいは日本海を中心とする国がしっかり平和で団結していける、そういう希望を若い人が持ってくれなければいけない。また、過去を検証しないで今の感覚で物を言うていくというのは、日本の今とるべき道ではないと思うんです

「保守の復活」とばかりに活気づいているが、そういえばどうしているのだろうかと思い立ち、委員会室を背にして安倍総理の後見人でもある「塩爺」こと塩川正十郎氏の事務所に連絡をとると、夜に肉をごちそうしてくれるという。9年前の番組立ち上げからのレギュラーメンバーなのだが、3年前の夏に病に倒れ、それ以降、出演は見合わせ、時折事務所にお伺いしているのだ。

店に着くと、「まだ、あの番組やっておんのか」と満面の笑みで迎えてくれた。「脳梗塞やったろ、あれはな目と耳と喉、喋りやな、これにくるんや」と言う。「目は薬でどうにかなるし、喋りもリハビリでどうにかなる。ただ、耳がなあ。これは補聴器や。左はどうにかなるが、右は聞こえん」などと説明するのだが、すっかり口調は流暢に回復していた。「右の耳もな、聞こえるように、鼓膜に穴を開ける手術をやれと息子が言うんやけど、この歳になってなあ」とも言った。

その後は、以前は、止めていたはずの肉も口にし、「どや安倍は。ようやってるやろ。経団連だってやると言ってるやろ。これは大きいで」などと、順調な「アベノミクス」の滑り出しに満足げだった。麻生太郎副総理のことやら、石破幹事長のことやら、「塩爺」の政局分析は広く、しかも深かった。「人脈」も復活しているようだった。話は続き時間を忘れるうちに食事も終わり、「ではそろそろ」と水を向けると、「でも、安倍は仕事しすぎだ。もっと遊べと、こないだ言っといた。2期6年を目指せとな」とつぶやき、「この本おもしろかったから読んでみるといい」と、紙袋をくれた。そして最後に「耳の手術どやろか」などと口にした。

丁重にお礼を言い、再会を約束して別れたあと、電車の中で袋を開くと、元『中央公論』の名編集長で知られた粕谷一希氏の『歴史をどう見るか??名編集者が語る日本近現代史』(藤原書店、12年10月刊)だった。帯には「歴ヒストリー史は物ストーリー語である。」「『東京裁判』を、『戦争責任』を、どう考えるのか?」「一貫してリベラルな論陣を仕掛けてきた著者が、戦後六十余年の『今』を考えるために」などとあった。

読み進めるうちに、「塩爺」が、あえて「2期6年」などと口にしたことがアタマに浮かんだ。7月の参院選まで封印などと目されていた集団的自衛権の見直しやら自衛隊法改正やら安全保障の課題を、次々と気ぜわしく俎上に載せつつあるのを懸念しているのではないか。6年続けられるかわからないが、慌てるなと。そして、その自分の目の前の安倍政権の「歴史」がどんな「物語」を描いていくのか、見届けていこうとしているのではないか。そんな風に思えてきた。きっと耳の手術はすると決めているんだろうなと思った。そして、自分も負けてはいられないと思った。地下鉄の中は会社帰りの酔客で混んできていた。


※本原稿は調査情報3〜4月号に掲載されています。

石塚 博久 (いしづか ひろひさ)
'62 東京都足立区生まれ。早稲田大学卒業後、'86日本経済新聞社に入社。大阪、名古屋、仙台支局(このとき、「みちのく温泉なんとか殺人事件」に出るような温泉はほとんど行った“温泉研究家”でもある)に。
東京本社政治部で政治取材の厳しい(「虎の穴」のような)指導を受け、新聞協会賞(「閣僚企画」共著)も。
'96TBS入社後は、報道局政治部記者、「NEWS23」のディレクターを経て、「時事放談」制作プロデューサー。

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