●「正視するに忍びない」浜矩子氏(9月23日放送)
目先の駆け引きに終始し、「原点」を見失っている政治の姿に、うんざりとした気分で会社に戻った。テレビではさっそくニュースにしていて、輿石幹事長は党首会談の時期について「そんなことはやってみないとわからんでしょう」などと、いきなり「先延ばし戦略」の面目躍如の様子だった。番組で使った政治漫画を思い出した。部屋の中で輿石幹事長と思しき老人が、議員を集めて鍋をつついていて、脇では野田総理と思しき人が、臨時国会と書いてある扉を前に、鍵を上に投げて弄ぶ。そして、窓の外では寒空の下を人々が背中を丸めて歩いている漫画だ。
通常国会で「先延ばし」を繰り返した輿石幹事長を再任した野田総理。ポロポロ離党者が出続ける中で、与党の過半数割れが目前となり、衆議院の内閣不信任案可決を警戒する「先送り」。時間稼ぎの先に展望がないところが、暗い気持ちにさせる。しかしその一方で、谷垣禎一自民党総裁(当時)が「自滅」した懸案処理の前に衆院解散の確約を求める「手法」を、安倍総裁も結局は始めだした。代表選挙、総裁選挙を経て、「仕切り直し」が始まるのかと思えば、どちらも「変わらない」のだ。
●「新鮮味がない」浜矩子氏(9月23日放送)
司会の御厨貴氏に打ち合わせの電話をすると、「なんだかスローモーションを見ているようだよ。どっちも、なんかやってるふりをして、その実本気じゃないよ」。その間、尖閣諸島の国有化(9月11日)をきっかけに中国との関係は悪化する一方だし、景気だってますます怪しくなってきた。
中国に精通する野中広務氏は、スタジオでとりわけ中国問題を熱く語った。イデオロギーも絡む問題だけに神経を使う話題なのだが、野中氏は「漂う政治」の中で外交がうまく機能しない野田政権を厳しく叱った。
●「なぜ」野中広務氏(10月7日放送)
うんざりした気分で机の中の整理をしていると、底の方から自己検証番組『TBSレビュー』にゲスト出演したときのDVDが出てきた。「時事放談の7年」とのタイトルに、あれからもう2年もたっているのかと思い、見たくなった。
中曽根康弘、宮澤喜一両元総理の第1回(04年4月4日放送)に始まり、後藤田正晴元副総理や塩川正十郎元財務大臣らの出演などのVTRで番組を振り返っていた。そこで、後藤田氏を評した宮澤氏のコメントで思わず唸った。
「後藤田さんは少数意見を言うことを恐れない人でした」というのだ。 そして、沈んだ気分が一変した。そうなのだ、「小泉ブーム」に沸く中、「ワイドショー政治を叱る」を掲げて旗揚げしたのが約9年前。後藤田氏は月に1回のペースで出演してくれ、警鐘を鳴らし続けてくれたのだっけ。そして、その後藤田イズムこそ番組作りで大事にしてきたのだっけ。次々、記憶がよみがえり、たまらず後藤田氏の発言を振り返った「後藤田氏の追悼番組」のDVDを取り出した。 番組で流したVTRの中で後藤田氏は「戦後60年の間ですね、日本の自衛隊によってですね、他国の人間殺したことないんですよ。それからまた、他国の軍隊によって日本人が殺されたこともない。先進国でこんな国はね、日本だけですよね。これは本当に誇るべきだと思う」「やはりどんな時代になっても立場の弱い人、気の毒な人はいる。ならば、そういう人に対して政治の光をどう当てるかということは、政治を担当する者の大きな責任だと思う」。
スタジオで次々とメッセージを語り、最後は化粧室で「さあ行こう」と立ち上がって玄関に向かい、車に乗り込むところでVTRは終わった。「そうだ、もう一度、原点に戻ろう」と思った。会社の小部屋のテレビモニターの前で、さめざめと涙が出てきた。
※本原稿は調査情報11〜12月号に掲載されています。
◆石塚 博久 (いしづか ひろひさ)
'62 東京都足立区生まれ。早稲田大学卒業後、'86日本経済新聞社に入社。大阪、名古屋、仙台支局(このとき、「みちのく温泉なんとか殺人事件」に出るような温泉はほとんど行った“温泉研究家”でもある)に。
東京本社政治部で政治取材の厳しい(「虎の穴」のような)指導を受け、新聞協会賞(「閣僚企画」共著)も。
'96TBS入社後は、報道局政治部記者、「NEWS23」のディレクターを経て、「時事放談」制作プロデューサー。

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