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過去の放送 出演者 時事放談「サロン」 テレビプロデューサーの日々
 
 

「正視するに忍びない」浜矩子氏(9月23日放送)

浜:今の民主党は、この場から逃げ出したくなるという感じの、正視するに忍びない感じがありますよね。それでも何とかなってほしいと思っている、私のこのけなげな思いを受けとめてもらいたいと思いますが。やっぱり「もうノーサイドにしましょう」(11年8月29日の野田新代表、両院議員総会での就任挨拶)は本当に良くなかったと思いますね。ノーサイドというのは、要は何でもありということですから、それでまとまるわけがないのであって。みんなが勝手に偉そうなことを言っていて、それを糾合していく労をとろうという人、その力のある人がいないという、やっぱり最悪の、まさに「決まらない組織」の姿ということでしょうね

目先の駆け引きに終始し、「原点」を見失っている政治の姿に、うんざりとした気分で会社に戻った。テレビではさっそくニュースにしていて、輿石幹事長は党首会談の時期について「そんなことはやってみないとわからんでしょう」などと、いきなり「先延ばし戦略」の面目躍如の様子だった。番組で使った政治漫画を思い出した。部屋の中で輿石幹事長と思しき老人が、議員を集めて鍋をつついていて、脇では野田総理と思しき人が、臨時国会と書いてある扉を前に、鍵を上に投げて弄ぶ。そして、窓の外では寒空の下を人々が背中を丸めて歩いている漫画だ。

通常国会で「先延ばし」を繰り返した輿石幹事長を再任した野田総理。ポロポロ離党者が出続ける中で、与党の過半数割れが目前となり、衆議院の内閣不信任案可決を警戒する「先送り」。時間稼ぎの先に展望がないところが、暗い気持ちにさせる。しかしその一方で、谷垣禎一自民党総裁(当時)が「自滅」した懸案処理の前に衆院解散の確約を求める「手法」を、安倍総裁も結局は始めだした。代表選挙、総裁選挙を経て、「仕切り直し」が始まるのかと思えば、どちらも「変わらない」のだ。


「新鮮味がない」浜矩子氏(9月23日放送)

浜:自民党は、まず、どうしようもなく新鮮味がない。昔の名前で、昔の顔で出ていますという感じであって、そこからもうエネルギーが出て来ないということがあります。それに、下野したときの反省、そして野党としての体験から何を学んだのか、野党という立場から見たときに何がどう見えてきたのかということについて、おっと耳を傾けるようなものが全くない。この間は空白であったかの如き自民党語録で相変わらず物を言っている。ちょっと口を開けると次に何を言うかがすぐわかるという言語のパターンで話をしていると。これがまた本当にこちらのテンション下がるというか、いい加減にしてくれという感じになってしまいますね

司会の御厨貴氏に打ち合わせの電話をすると、「なんだかスローモーションを見ているようだよ。どっちも、なんかやってるふりをして、その実本気じゃないよ」。その間、尖閣諸島の国有化(9月11日)をきっかけに中国との関係は悪化する一方だし、景気だってますます怪しくなってきた。

中国に精通する野中広務氏は、スタジオでとりわけ中国問題を熱く語った。イデオロギーも絡む問題だけに神経を使う話題なのだが、野中氏は「漂う政治」の中で外交がうまく機能しない野田政権を厳しく叱った。


「なぜ」野中広務氏(10月7日放送)

野中:なぜなのかっ。ああいう問題は、非公式に外交的に先方と一生懸命話をして、その上で合意を得て、そして総理がやっぱり尖閣列島の問題を決定したというならわかるんです。でも、突然、尖閣列島の問題が国民の前にも、中国にも、大きなショックを与えてしまった。なぜ今までのようにいかなかったのか、あるいは立法府の中でどのように検討されてあの問題が出てきたのかっ。それが、私は根本的な問題だと思うんですね。 外交的には中国に非公式に根回しがされて、そしてこれが表に出たというなら、それはそれで私は一つの納めどころがあると思うけれど、どうも見ていたら、そういう形じゃない。中国は胡錦涛国家主席の任期が満了するこの40周年記念を境にして、そして党大会、あるいは人事、あるいは国内の非常にいま厳しい人事対立が行われている最中でしょう。

なぜこういう背景がわかっておりながら、日本が尖閣列島の問題に手を入れたのか。さっぱり私にはですね、政治の社会がどうなっているんだというイロハのイも、わからないままにこの問題をやったのか、わかっててやったのかっ、わからないっ

うんざりした気分で机の中の整理をしていると、底の方から自己検証番組『TBSレビュー』にゲスト出演したときのDVDが出てきた。「時事放談の7年」とのタイトルに、あれからもう2年もたっているのかと思い、見たくなった。

中曽根康弘、宮澤喜一両元総理の第1回(04年4月4日放送)に始まり、後藤田正晴元副総理や塩川正十郎元財務大臣らの出演などのVTRで番組を振り返っていた。そこで、後藤田氏を評した宮澤氏のコメントで思わず唸った。

「後藤田さんは少数意見を言うことを恐れない人でした」というのだ。 そして、沈んだ気分が一変した。そうなのだ、「小泉ブーム」に沸く中、「ワイドショー政治を叱る」を掲げて旗揚げしたのが約9年前。後藤田氏は月に1回のペースで出演してくれ、警鐘を鳴らし続けてくれたのだっけ。そして、その後藤田イズムこそ番組作りで大事にしてきたのだっけ。次々、記憶がよみがえり、たまらず後藤田氏の発言を振り返った「後藤田氏の追悼番組」のDVDを取り出した。 番組で流したVTRの中で後藤田氏は「戦後60年の間ですね、日本の自衛隊によってですね、他国の人間殺したことないんですよ。それからまた、他国の軍隊によって日本人が殺されたこともない。先進国でこんな国はね、日本だけですよね。これは本当に誇るべきだと思う」「やはりどんな時代になっても立場の弱い人、気の毒な人はいる。ならば、そういう人に対して政治の光をどう当てるかということは、政治を担当する者の大きな責任だと思う」。

スタジオで次々とメッセージを語り、最後は化粧室で「さあ行こう」と立ち上がって玄関に向かい、車に乗り込むところでVTRは終わった。「そうだ、もう一度、原点に戻ろう」と思った。会社の小部屋のテレビモニターの前で、さめざめと涙が出てきた。


※本原稿は調査情報11〜12月号に掲載されています。

石塚 博久 (いしづか ひろひさ)
'62 東京都足立区生まれ。早稲田大学卒業後、'86日本経済新聞社に入社。大阪、名古屋、仙台支局(このとき、「みちのく温泉なんとか殺人事件」に出るような温泉はほとんど行った“温泉研究家”でもある)に。
東京本社政治部で政治取材の厳しい(「虎の穴」のような)指導を受け、新聞協会賞(「閣僚企画」共著)も。
'96TBS入社後は、報道局政治部記者、「NEWS23」のディレクターを経て、「時事放談」制作プロデューサー。

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