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「第2章」インカ:帝国の統治

インカ帝国はパチャクティ王の時代以降、急速に領土を拡大した。
ペルー北海岸の覇者チムー王国と1470年頃に激突し勝利したことで、アンデスでの覇権を打ち立てた。
その後、北海岸での統治は、チムー時代の制度をそのままにして、インカが即位を認めたチムー王にまかせた。
一方、鉱山資源を得るための遠征をした現代のチリにあたる地域には、北海岸のように利用できる強力な国家や官僚制がなかったため、税として得た食料・衣服などの物資を国家が管理して流通させていたという。その統治原理は、互酬と再分配に基づいていたと説明されることが多い。
このようにペルー北海岸やチリの実情を見ると、インカ帝国には統一した制度がなく、地方の実情に合わせて行政を組み立てていた。その結果、複数の制度が並び立つという、モザイク状国家であったらしい。また、こうした南北に長くさまざまな制度を併せ持つ帝国を統治するために「インカ道(カパック・ニャン)」と呼ばれる道路網が利用された。
ローマ街道をもしのぐというインカ道の要所には、タンボ(宿駅)がもうけられ、税として徴収した豊かな物資を納める倉庫や行政センターが置かれた。さらに王の命令は、キープを持ったチャスキ(飛脚)がタンボを中継して走り、各地に伝えられた。

ここでは、謎多く解明半ばのインカ帝国の統治システムについて考えます。

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