特集
2019年3月17日「ディキスの石球のある首長制集落群」

その数、200個以上!謎の石球
きれいに形が整えられた大量の石球をつくるには、たいへんな手間と時間がかかります。ではなぜ、このような石球がつくられたのでしょうか? 今も解明が進められている石球の謎について、専門家や先住民の末裔から話を聞くことができました。

──それにしても、このようなまん丸な石球、何のためにつくったのでしょうか?
江夏:ディキスの文化には文字がなかったようで、これらの石球がどんな方法でつくられて、何のために使われていたのかの記録は残されていません。また、多くの石球が見つかったあとに移動されているため、本来の場所にあったと思われるものから推察することしかできません。石球がどのような存在で、何のためにつくられていたのか、ディキスの石球に関する考察をまとめてみました。

自慢の石球で権力を示す?
ディキス・デルタには、いくつもの集落が点在し、1つの集落に300〜500人が暮らしていたのではないかと推測されています。各集落の重要な場所や首長などの権力者の家の前に石球が置かれていたようです。石球をつくるには、多くの労働力と高度な技術が必要だったことから、力を持っている集落ほど、大きな石球をたくさん持っていたのではないかと考えられています。石球の数や大きさを自慢していたのかもしれません。

石球は、首長など権力者の家の前に置かれていたことから、権力の象徴だったと考えられています。その他には、集落の公共のスペースなどにも置かれ、集落の権威を示しました。


石球で季節がわかった?
世界遺産に登録されているフィンカ6遺跡の石球は、見つかったとき、地面に埋まっていました。デルタ地帯は洪水が多く、土砂に埋まったのですが、そのおかげでオリジナルの配置のまま残されています。その配置を調べると、2つの石球がほぼ東西に並んでいたのです。実は雨季の始まる4月に、2つの石球の線上から太陽が昇るため、種まきの時期などを知るための暦の役割を果たしていたのではないかと考えられています。

埋まっている2つの石球の配置を検証してみると、ほぼまっすぐ東西に並んでいることがわかりました。2つの石球を結んだ線上から太陽が昇れば、そろそろ雨季が始まるということがわかるのです。


石球が現世と神聖な世界をつないでいた?
石球をつくっていた先住民の末裔が暮らす集落には、今でも石球にまつわる伝説が残されています。伝説によれば、石球をつくるとき、精霊たちが力を貸してくれたそうです。そして、精霊の力が込められた石球は、神聖な世界とつながる力を持っていたと考えられていたのです。石球は儀式にも欠かせないものだったようです。

先住民の末裔が暮らす集落には、今も先祖がつくった石球が祀られています。集落には、石球をつくるときに協力した精霊たちの力が、この石球に込められているという伝説が伝わっていました。


石球の原点は川原の石?
先住民が石球を崇めた理由については、川の流れに関係しているのではないかと言われています。川に運ばれる石は、流されるうちに削られ丸くなっていきますが、ディキスの石球は、“命を育む水がつくりだした球体”を人工的に再現したものではないかと考えられているのです。そんな説を裏付けるかのような、模様のある石球も見つかっています。渦巻き模様は水の流れを表わしていると言われています。

石球は、川を流れるうちに丸くなった石を模して作ったのではないかという説があります。その説を裏付けるように、水の流れを表したような渦巻き模様が彫られた石球が見つかっています。

──なるほど。この不思議な石球を軸に、さまざまな考察が立てられているんですね。最後に、番組を楽しみにしている視聴者の皆さんにあらためて見どころをお願いします。
江夏:コスタリカ周辺は、長らく“文明の空白地帯”とも呼ばれていた地域で、その歴史は謎に包まれていました。しかしディキスの石球についての研究が進められるにつれて、こんなにもユニークで、豊かな文化があったということがわかってきました。番組では、研究者の方の話のほか、先住民の末裔の間で語り継がれる伝説を交えながら、この知られざる文化の姿を紐解いていきます。主役であるさまざまな石球も表情豊かに撮影してきましたので、ぜひ映像でご覧ください。

本土から17キロ沖合いにあるカニョ島の奥深くにあった苔むした石球と、島を訪れた江夏ディレクター。ディキスで作られ、運ばれたものです。この島は交易の拠点として重要な場所でした。
