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BACK NUMBER #737 2020.10.24 O.A.

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最大8球団1位指名も!プロ野球ドラフト会議10年に1人の逸材SP
その男は大学野球の名門、近畿大学の4年生。佐藤輝明、21歳。身長187センチ、体重94キロ。その恵まれた体格から、規格外の一発を放つ。ドラフト1位候補と呼ばれる所以は、打撃だけではない。50m6秒の俊足で、盗塁を決める。走攻守揃った、規格外の選手。12球団全てから調査書が届き、すでにオリックスはドラフト1位指名を公表。さらに巨人のスカウトからも、最高評価を得ている。だが彼は、野球エリートの道を歩んできた訳ではない。高校時代は全くの無名の選手だった。甲子園出場は1度もなく、3年最後の夏は、県予選の1回戦でコールド負け。そんな男が、ドラフト1位候補にまで成長したのにはプライベートに秘密があった。佐藤は試合後、欠かさず自分のプレー映像を見ながら打撃フォームのチェック。練習以外でも、頭の中は野球だらけな佐藤をサポートしてきたのは父だった。父「チームでバックネット裏からビデオで撮っているんですけど違うアングルでも撮ったら技術的な事で為になるかなと。毎試合撮って画像送るようにしてます。」さらに父は息子へ常に言い続けてきた言葉がある。父「やりたいことやれよ。なりたいもんになれよって、最高ですよね。悔いが残らないようにやってもらいたいという事ですね。」佐藤は小学校6年の時に肘を故障し、中学では軟式野球部へ入部。高校は当時、県予選4回戦止まりだった仁川学院へ。甲子園を目指す事なく野球を続ける息子の意識を変えようと父が、肉体改造を提案する。佐藤の部屋にはウエイトトレーニング器具とベッドのみ。高校時代だけで体重は30キロも増えた。佐藤「何か変えないといけないなと思ったところでウエイトトレーニングと出会って、そこで変わったと思います。それに伴ってプレーも変わりました。」高校2年からホームランを打ち出した佐藤を仁川学院野球部の元監督、馬場弘行は非凡な才能に目を付けた。近畿大学野球部出身の馬場は、母校へ、佐藤を推薦。すると近大監督・田中秀昌は、佐藤を大学の練習へ呼んだ。田中「バッティング練習見て、これはすごいなと。ぜひとも近大にとお願いしました。」彼の指導の下で、佐藤は能力は開花した。2年の春から3期連続のベストナインに選出。2年の秋にはMVP獲得。さらには関西学生野球で歴代最多本塁打記録となる14号のホームランを放つ大砲にまで成長した。
そして、もう一人…。明石商業高校野球部、チームのエース中森俊介。高校生現役最多、甲子園通算6勝の逸材だ。その甲子園デビューは鮮烈。それは1年生の夏。同点で迎えた試合終盤、リリーフで登板した中森は九回にこの試合で2本のホームランを放った4番バッターを、145キロのストレートで三振に抑えた。そして、2年生の夏には、自己最速の151キロをマーク。過去2年生の時に150キロ以上を記録したのは、大谷翔平、田中将大などわずか4人。だが、彼の真骨頂はストレートだけではなく、7種類もある多彩な変化球。これまでの成長の裏には恩師・狭間監督の存在があった。この二人、出会いは中森が中学時代の頃。軟式野球でチームを兵庫県のベスト4に導いた中森のピッチングを見ようと足繁く球場を訪れ、当時から巧みな投球術に惚れ込んだという。一方の中森も、明石商業の練習を見学し、狭間監督の情熱的な指導に惹かれ、明石商業への進学を決めた。監督「意識高くて練習に取り組む姿勢もいいですし、どこまで成長してくれるか楽しみ。」狭間監督の指導に加え、ストイックに野球と向き合い、打撃練習にさえも全力で取り組む。中森「体で覚えないと意味がないので練習するだけです」そんな中森は家族の応援が支えになった。母「基本やりたいことをやらせたい。行きたいところに行かせたい。」中学校卒業の時、手紙で家族へ感謝の思いを伝えた。『この15年間、僕をこんなに大きくたくましく育ててくれてありがとう。高校を卒業したらプロ野球選手になって必ず親孝行します。』母「普段そんなこと口にしない子なんですけど、手紙を書いてもらったらグッときますね。」家族の支えを励みに、中森はプロの世界を目指す。中森「上の舞台で活躍を見せるのが1番の恩返しだと思っているのでしっかり技術身につけてやって行きたい。」期待と不安が交錯する中、指名を信じて待つ彼らの運命とは…。
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