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BACK NUMBER #731 2020.9.5 O.A.

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甲子園の夢を奪われた超名門高校球児たちの夏
史上初春のセンバツ高校野球が中止に…全国の高校球児が涙した。その中で夢を打ち砕かれても一人気丈に振る舞う選手がいた。仙台育英高校野球部、キャプテン・田中祥都。全国から集まった選りすぐりの部員109名をキャプテンとして束ねる田中は未曾有の事態に直面しても、常に前を向き仲間を鼓舞し続ける。そんな田中は、チームの投票でキャプテンに選出された。仲間からの信頼もあつい。前向きな言葉だけではなく、プレーでもチームを引っ張っている。身長170cmと小柄ながら、打撃ではすさまじいパンチ力を持ち、さらに守備でもそのセンスを光らせる。走攻守三拍子揃った仙台育英の不動の1番バッターだ。就任以来キャプテンとして貫いている信念。それは“主将はどんな時でも絶対に弱みを見せちゃいけない”そんな彼をここまで育てあげ、支えているのが、母・千恵子さん。遠征先に到着した息子の出迎えまで行うこともあるという。公式戦には必ず観戦に訪れている。甲子園、その舞台は親子で追い続けてきた長年の夢だった。母・千恵子さんは大の巨人ファン。甲子園も毎年観戦に行っていたという。結婚すると6人の子宝に恵まれた。野球好きが高じて、5男の息子に祥都と名付けた。4人の兄は、全員が甲子園を目指した元高校球児。5歳上の3男・連は、地元の名門・報徳学園でプレーしたが、その夢は叶わなかった。4人の兄が果たせなかった甲子園出場、その最後の砦が5男の祥都に託された。祥都は小学1年生で本格的に野球を始めた。母は、毎週末グラウンドに通い、息子の姿をビデオに収め続けた。そして、地元兵庫県の名門・松陽中でレギュラーを掴むと…キャプテンとして、チームを牽引。“母を甲子園に連れて行く”兵庫県の強豪校や仙台育英など、いくつかの学校から誘いを受けるなか、夢を実現するために、どこに進むべきか、田中は悩んだ。まさに、その頃、仙台育英で自分と同じような体躯の、現楽天・西巻が、甲子園での活躍が認められてプロ入りしたことを知った。そして田中は、甲子園に行くために兵庫県を離れ、仙台育英へ進学する事を決心。2017年、名門・仙台育英高校野球部に入部した。だが、現実は甘くなかった。田中は2年生ではレギュラーを掴めず、甲子園はアルプスで応援していた。悔しさをバネに田中は必死に練習を重ね、新チームになるとキャプテンに選出。春のセンバツ出場がかかった、県大会でレギュラーの座を掴みチームトップの打率5割を記録。優秀選手に選ばれ、東北大会の優勝にも大きく貢献した。そして、正式にセンバツ出場が決定。喜びを爆発させていた…。しかし、コロナ禍で夢の舞台は奪われた。親子の悲願だった甲子園。母も涙が止まらなかったという。そして、自粛期間中に、夏の甲子園も中止に。家族の前でも、仲間の前でも決して、弱音を吐かず、明るく振る舞っていた田中だが、一人で苦しんでいた。やり場のない歯がゆさ。苦しさ。それでも一人黙々とバットを振り続けた。すると、春のセンバツの代替大会が決定。その翌日には、夏の甲子園大会の代替大会になる、宮城県独自の大会が開催されることが決定した。そこで、監督は3年生のみで県大会を戦うと決断。ベンチ入りするメンバーを試合ごとに変え、全員が試合に出場し優勝するというのだ。そして迎えた宮城県大会。初めて公式戦に出場する選手が躍動する。1球、1打席に3年間の全てをかけ、チームのために全身全霊のプレー。田中も走攻守で大活躍。3年生38人。公式戦全員出場での優勝。まさに全員野球で頂点に立った。そしていよいよ田中家の悲願、甲子園の舞台がやってきた。母も車で甲子園へ。幼い頃からの憧れの舞台。親子の夢がついに叶う時。1試合限りの甲子園が始まった。1番セカンドで先発出場。第1打席凡退後、迎えた第2打席で母の思いも載せた甲子園初ヒット。守備でも好プレーで魅せたが…試合は6対1と完敗。最初で最後の甲子園が終わった。どんなに苦しくても、人前では弱みを見せず、主将を全うしてきた田中。そんな田中の未来をこれからも応援していきたい。
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