バックナンバー:バース・デイ

BACK NUMBER #730 2020.8.29 O.A.

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あのカリスマ店主は今…“麺家うえだ”上田みさえ
全国屈指の人気ラーメン店「麺家うえだ」。人気店といえども、新型コロナウイルスの影響は甚大だ。多い日には一日150人以上来ていた客が5分の1にまで、減少しているという。我々が初めて取材したのは2010年。連日、この店の味を求める客が、行列を作り、店内は常に満席。人気の秘密は、超濃厚スープだ。豚足、手羽先、魚介ベースなどを、独自にブレンドしたスープは、濃厚ながらしつこくなく、唯一無二の一杯と評判。そんな通をも唸らせるラーメンを作っていたのが…上田みさえ。上田の名を一躍世に知らしめたラーメンが、醤油ベースのスープを2台のガスバーナーで炙り、豪快な火柱で味を仕上げる…立ち込める、焦げた醤油の香ばしい香りが病みつきに…その名も焦がし醤油ラーメン。スープに斬新なひと手間を加えた、このラーメンを始め、次々と生み出す新作は常に話題を呼び、ラーメン界のカリスマとして多くの雑誌に取り上げられた。彼女の生活はまさに、人生をラーメンに捧げた生活ぶりだった。そんな生活から10年…上田は20年続けた店を仲間に譲り、週3日、片付けと仕込みをするだけ、厨房に立つことはほとんど無くなっていた。ラーメン作りの第一線から退いて、1年。新型コロナの影響であらゆる飲食店が取り返しのつかないダメージを受ける中「麺家うえだ」も、例外ではいられなかった。上田から、店を譲り受けた初谷智久は、想像以上の売り上げ減少に苦しんでいた。「耐えれば必ず朝日は昇る」そう言う上田。そんな言葉通り上田の人生は苦難の連続だった。飲食業界に足を踏み入れたのは、31歳の時。地元埼玉で喫茶店を経営し、大成功をおさめた。その成功を皮切りに焼き鳥店や若者向けの居酒屋など次々と店舗を増やし45歳で焼き肉店をオープン。4つの店舗を持つ実業家として手腕を発揮。しかし、56歳で全ての店をたたみ、ラーメン店を経営することを決意。ラーメン作りを一から独学で学び始めた。長年、飲食業で成功してきたという自信があった。だが、ラーメンはそんな成功体験でなんとかなるようなものではなかった。転身から2か月後、上田は牛骨を使ったラーメンを作り出した。当時、珍しかった牛骨ラーメンは雑誌にも取り上げられ、店は徐々に軌道に乗り始めた。だが、そんな矢先に悪夢が襲い掛かる。2001年9月、BSE問題が発生。牛の骨を使う上田のラーメンは大打撃を受けた。上田は牛骨を諦め、新たに鶏がらスープを開発。ところが、今度は鳥インフルエンザ…店は廃業寸前まで追い込まれてしまった。だが、上田は諦めなかった。そんな窮地の中でも、自分にしか作れないオリジナルのラーメンを作ろうと研究を進めた。こうして生まれたのが特濃魚介豚骨ラーメンだった。ラーメン作りの第一線を退いた上田は2020年2月、77歳で新座市の市議会議員選挙に出馬し見事当選。子供のいじめ撲滅に向け、積極的に活動。更には、DVで苦しむ子供たちの駆け込み寺を作ることも考えている。新型コロナウイルスの影響をまともに受けたラーメンの名店「麺家うえだ」緊急事態宣言で客足が遠のく中、テイクアウトを始めるなど、対策を講じたものの、売り上げは平均3割も落ち込む、苦しい日々が続いていた。そんな中、上田はある秘策を考えていた。そこに用意されていたのは…高級料亭でも使われる愛媛県産の真鯛。コスト度外視で期間限定のメニューを出し、「麺家うえだ」の存在感をアピールするのが狙いだ。「いついかなるときもオリジナルであれ」それが幾つもの困難を乗り越えてきた上田の人生哲学だ。そして、出来上がった「冷やし鯛骨ラーメン」鯛の骨から出汁をとった贅沢な一杯。残ったスープはご飯にかけ、2度楽しめる仕掛けになっている。販売当日。「麺家うえだ」に行列が戻ってきた。開店と同時に鯛骨ラーメンの注文が次々と入る。この日は上田も厨房に入り自らラーメン作り。苦しい闘いは続くが光が見え始めた。人気ラーメン店を築き上げたカリスマ 上田みさえ。不屈の闘志で人生を歩んできた彼女は「苦しい時こそ、前向きに」そんなメッセージが日本中に届いてほしいと願っている。
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