バックナンバー:バース・デイ

BACK NUMBER #729 2020.8.22 O.A.

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名門・日大三高野球部 異例の夏に挑む球児とその家族の思い
新型コロナウイルスにより、2020年夏の甲子園大会は中止となった。そんな絶望の淵に立たされながらも、懸命に戦う名門校。日大三高野球部。夏の甲子園17回の出場を誇り、2度の全国制覇。プロの世界に31人の選手を送りこんでいる。そんな強豪校も今、コロナ対策が欠かせない。自粛明け以降、上級生と下級生に分かれて練習。密はなるべく避けている。感染予防に気を配り、部員の体調チェックも忘れない。部員は総勢69人、その中には、中学時代、世代別や世界大会を経験したものなど、エリート揃い。甲子園に出るために日大三高にやってきた者がほとんどだ。3年生は最後の夏にかけていた中での甲子園大会中止だった。当時、自宅に戻っていた3年生たちは、携帯で連絡を取り合ったという。夢が終わった…。3年生たちは絶望の淵に立たされていた。そして、コロナによって野球人生を翻弄された部員もいる。将来プロ入りを目指す、エース・児玉悠紀。日大三高での甲子園出場を夢見て、宮崎県から上京してきた。小学2年生から野球を始め、全国大会にも出場。当時から、将来の夢は甲子園に出場しプロに入ることだった。その夢を叶えようと、誘いを受けた日大三高に進学し、2年秋から背番号1を獲得。すると、エースとしてデビューした秋の大会で、圧巻のピッチングを披露。強豪・帝京高校から10奪三振をマーク。一躍、プロ注目の存在となった。夢のプロ入りへ、甲子園は最大のアピールとなるはずだった。アピールの場がなくなった、その悔しさは父・俊介さんにも伝わっていた。俊介さんはかつて甲子園に出場した高校球児だった。控えキャッチャーとして、プレーする機会はなかったが、甲子園がいかに特別な場所かを知っている。それだけに甲子園を奪われた悔しさは父も同じだった。そして…橋本和真。彼はこの最後の夏に全てを懸けていた。彼は2年生の春に足首を痛め、全治3ヵ月のリハビリ。秋に新チームがスタートしたが、ベンチに入ることは出来なかった。遅れを取り戻し、必ずレギュラーを取る。そんな思いで1月の紅白戦ではヒットを連発。レギュラーを取るまであと一歩。そんな状態まで取り戻していた。だが、コロナが蔓延し始めた3月以降。試合が次々と中止。最後のアピールは叶わなかった。レギュラーを掴み、甲子園に出る。それは、幼い頃から親子の夢でもあった。甲子園を夢見て、毎晩自宅の庭で練習を積んできた。まさに家族で追いかけた夢だった。家族をも苦しめた甲子園中止。だが…部活動停止から一週間後。選手たちの中に諦める者はいなかった。いつか必ず野球は出来る。そう信じて自主練習を始めた。すると、6月。甲子園の代替大会の開催が全国各地で発表。東京都でも7月から独自大会の開催が決まった。独自大会は、甲子園には繋がらない。だが、その大会が決まった直後、監督・小倉はある決意を固めていた。それは、3年生全員に背番号を渡し、3年生の大会にすること。この夏は登録枠20人を3年生全員で戦う。自粛が明けた6月以降、練習は再開されたが、チーム練習はおよそ2か月ぶり。例年この時期に組まれる練習試合も満足に出来ない。しかも、戦うのは3年生のみ。異例づくしの中、選手一人一人の底上げが必要だった。全体練習が終わった後は、気の済むまで自主練習。2か月遅れを取り戻そうと必死だった。そして大会前日。監督・小倉は3年生を相手に自らノックを打ち込んだ。練習不足や経験不足など不安要素は多い。だが最後の大会を悔いなく全力で挑んで欲しかった。およそ1時間。大会前最後のノックを終えた。そしていよいよ日大三高の夏が始まった。初戦の相手、都市大等々力。7回コールド勝ちと快勝しスタートを切った。チームは順調に勝ち進み、準々決勝へと駒を進めていった。そして迎えたベスト8。相手は2度の準優勝を誇る佼成学園。9回の攻撃を終え、2対2。息詰まる投手戦となった。9回裏を守る日大三高。1アウト2塁のピンチを招く。一打許せばサヨナラ負けが決まる絶体絶命の場面…抜けた変化球が甘く入った…。左中間を破るサヨナラタイムリー。3年生最後の夏が終わった。
様々な思いを胸に、異例の戦いに挑んだ、名門・日大三高野球部。この経験が彼らの人生の糧になることを願ってやまない。
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