バックナンバー:バース・デイ

BACK NUMBER #723 2020.7.4 O.A.

バックナンバー
戦力外通告から新たな夢を掴んだ男たちとその家族の絆の物語
 ようやくシーズンが開幕したプロ野球。しかしわずか1か月前まで、開幕さえも危ぶまれる状況だった。新型コロナウイルスの影響は第二の人生を送る元プロ野球選手たちにも直撃していた。
 加藤幹典、かつてドラフト1位でヤクルトに入団。将来のエース候補とまで言われていた。だが、わずか4年で戦力外通告。引退した後も試練の連続だった。加藤の名が轟いたのは大学生の時。慶応大学のエースとして、あのハンカチ王子・斎藤佑樹を投げ合い、三振の山を築いた。その後、ヤクルトに入団。しかし、プロの世界はそう甘くはなかった。1年目、開幕1軍デビューを果たすも思うような結果が出ない。ドラフト1位の重圧からか、2年間全く勝てない日々が続いた。さらに追い打ちをかけるように、左肩を故障。そんな、どん底の頃に出会ったのが、8歳年上のさやかさんだった。さやかさんに支えられ加藤は入団3年目にして念願のプロ初勝利をあげる。そしてさやかさんと結婚。長男のこうたくんも誕生し、さらなる飛躍を誓った。だが、左肩の痛みが引かず、満身創痍で挑んだプロ4年目のシーズン結果を残せず、戦力外通告を受けた。野球が嫌いになってしまった男は、第二の人生に何をすべきか思い悩んだという。「起業したい」そんな突拍子もないことを言ったという。そんな夫の夢を聞いた妻は、絶望しかなかったという。そんな中、加藤はプロ入りの契約事項にもあったヤクルト本社で働く道を選択。だが、それは思い描いたものとは違った。配属されたのは、「宅配営業部」ヤクルトレディと一緒に毎日何十件も訪問販売する日々。プロをクビになって5年が経ったある日、加藤は子供たちに野球を教える機会があった。すると、一度は離れた野球への思いが蘇った加藤。そして、加藤は5年間務めたヤクルトを退社。友人のサポートを受け、野球教室を運営する会社を立ち上げた。プロ経験者の親身な指導が評判を呼び、生徒数は45人まで増えた。しかし…新型コロナウイルスの影響で野球教室が中止。加藤の会社も大きな打撃を受けた。加藤は少しでも売り上げを上げようと、リモートで野球教室を開き、急場を凌いだ。愛する家族のためにも、ここで負けるわけにはいかなかった。そして加藤は驚くべき行動に打って出た。墓石メーカーとコラボして、野球選手やアスリートの功績を残すお墓作りができないものかと密かに計画を進めていた。まもなく、試作品として加藤自身のお墓が完成予定だという。
 そして、もう一人…日本一の胴上げ投手に輝いた男・伊藤義弘も第二の人生をスタートさせた。伊藤は、遅咲きの選手だった。高校、大学と目立った活躍が出来ず、ようやくスカウトの目に止まったのは社会人3年目、都市対抗野球に出場した時のことだった。その年にドラフト4位でロッテに入団。プロ1年目から、中継ぎでフル回転。そして、プロ3年目の2010年、日本シリーズで登板し、栄光の胴上げ投手になった。だが、その翌年に試合中に大けがを負い、本来のピッチングが取り戻せないまま、プロ生活9年で現役を引退。すぐに第二の人生を踏み出した。それは高校時代夢だった教師になること。伊藤は大学院に通い、猛勉強の末、教員免許を取得。そして、ついに2020年、母校の東福岡高校に赴任した。「いずれは野球部の監督になりたい」その思いで、まずはコーチとして指導方法を学ぶ予定だった。しかし、新型コロナウイルスの影響で部活動が休止。さらに、夏の甲子園も中止となった。6月に入り、練習が再開。1、2年生主体のチームに切り替わると、引き継ぐ間もなく、伊藤が監督に抜擢された。甲子園出場6回を誇る名門野球部は低迷…。伊藤は、生徒の意識を変えさせるために、まずは、声を出させることから始めた。投手だった伊藤は野手の指導方法をプロ野球の伝手を辿って学んだ。そして、新たに試合形式のテストを取り入れた。元プロ野球選手の厳しい目でチェックし、選手の能力を一から見直す。ベンチ入りメンバーを発掘するのが狙いだ。プロ野球選手から教員の道へ進み、かつての名門校を1歩ずつ、立て直そうとしている伊藤。伊藤の挑戦はまだ始まったばかりだ。
[BACKNUMBER]
banner_AD
Loading…

SNS

TBSトップページサイトマップ Copyright© 1995-2021, Tokyo Broadcasting System Television, Inc. All Rights Reserved.