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BACK NUMBER #721 2020.6.20 O.A.

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父・村田修一 早産だった長男との強い絆…父親としての想いに迫る
巨人の未来を担う、若手選手が汗を流すジャイアンツ球場で、熱く語るコーチ、村田修一。これまで我々は野球選手としてだけではなく、父親としての村田の姿も追ってきた。新型コロナウイルスの影響で3ヵ月近く続いた自粛期間。練習時間も限られた中、村田にとっては3人の息子たちと過ごす時間が増えたという。自粛期間中は外に出られない子供たちが運動不足にならないよう、キャッチボールとティーバッティングを日課にしていたという。以前は野球をしていた、長男・閏哉くん。私立の中学校に通い成績も優秀だという。次男の凰晟くんは、地元の少年野球チームに所属し、ポジションは父と同じサードを守っている。村田は技術を指導するときについつい熱が入ってしまう時も…。そして、三男・瑛梧くんも野球に興味を持ち始めた。次男の練習について行くのが楽しみになっているという。実は、村田がプロ野球選手といて大きく羽ばたいた裏には、過酷な運命を背負って生まれてきた、長男・閏哉くんへの強い思いがあった。2006年2月に閏哉くんは、妊娠わずか6か月で生まれてきた。体重712gの超低出生体重児だった。先生には、9割の子供は亡くなってしまうと言われ、さらに大きな障害が残る可能性があるとも言われた。閏哉くんは生まれた直後から肺や腸などの疾患にみまわれ生死を彷徨った。容態が安定したのは生まれてから2か月後、村田は初めて我が子を抱いた。医師たちの懸命な治療の末、閏哉くんは無事に退院。過酷な運命の中、成長する長男。その姿は父に大きな力を与えた。そんな意識の変化は、成績に如実に表れた。村田は閏哉くんが生まれた2006年に4番に定着。さらに、2007年から2年連続ホームラン王に。村田は日本球界を代表するバッターへと覚醒した。そして、2009年のWBCでは4番を任された。村田は打率3割2分7打点と、主砲の名にふさわしい活躍を見せる。そんな絶頂期の中、予期せぬアクシデントが襲う。右ふとももの肉離れで全治6週間。村田は決勝トーナメントを前に、無念の途中帰国を余儀なくされた。失意の村田を元気づけたのは閏哉くんだった。WBC優勝の場に立ち会えなかったパパのために閏哉くんが金メダルを手作りしたのだ。命の瀬戸際にいた閏哉くんが、すくすくと元気に育つ姿に、村田は自らを奮い立たす原動力をもらった。その後、村田家には次男・凰晟くんが誕生。巨人へFA移籍後の2014年には三男・瑛梧くんも生まれ、村田は3人の息子の父親になった。極度の不振に陥ったときも、村田は息子たちの声を力にして、よみがえってきた。そんな村田に野球選手として転機が訪れたのは、2017年のシーズンオフ。巨人から戦力外通告を言い渡された。プロ野球の球団からはオファーはなく、2018年のシーズンを独立リーグで戦った。息子たちも球場へ駆けつけ、その姿を目に焼き付けた。しかし、復帰の願いは叶わず、現役引退を息子たちに告げた。プロ野球選手である前に父親として3人の息子たちと向き合ってきた村田。その接し方は自らの父から受けた教えが、大きく影響しているという。”約束は必ず守れ”そう父から言われてきた。そして、村田家には、新年に必ず行うことがある。それは、その年1年の目標を書く事。これも村田自身が父から言われ幼い頃から続けていたことだという。息子たちの目標は、村田の実家に毎年飾られている。そして、長男・閏哉くんは将来、海外で働きたいという夢もおぼろげながら見えてきたという。息子たちの成長を感じる瞬間が今の村田にとって、何よりも楽しみだという。
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