バックナンバー:バース・デイ

BACK NUMBER #715 2020.5.9 O.A.

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〜母の日〜家族のために奮闘するママさんアスリートたちの物語
2020年3月、女性騎手として日本で初めて、地方競馬で1万回騎乗という記録を達成した 宮下瞳。宮下は2人の子を持つママさんジョッキー。家事と育児を両立させながらこの偉業を成し遂げた。番組では彼女が母となり、育ち盛りの子供たちを育てながらも騎手復帰を目指しているときに密着していた。彼女の1日が始まるのは、なんと深夜1時。競走馬を管理する厩舎の清掃から始まる。厩舎での作業を終えると、調教を開始。1日に、およそ10頭の馬に騎乗する。深夜1時に家を出て、帰宅するのは朝の8時。休む暇なく、子供たちに朝ご飯を食べさせ、保育園へ送り届ける。家に戻ると、掃除や洗濯など、主婦としての役割をきっちりとこなす。そして、学科試験のための勉強を3時間。午後からは、体力トレーニング。深夜から始まった宮下の一日は、あっという間に20時間が過ぎた。睡眠時間は、わずか4時間程度。この生活を毎日続けられるのは、息子からの応援があったからだ。騎手時代の母の写真を見て「ママが馬に乗って走るところを見てみたい」と言ったという。宮下は1日20時間のハードスケジュールを、休むことなく続けた。そして見事、騎手免許を取得。それから4年間で、1万回騎乗という日本記録を成し遂げたのだ。
日本人初の五輪ママさんランナーとなった赤羽有紀子。アスリートでも妊娠中は練習を控えるものだが、赤羽は医師と相談をしながら練習を続けた。そして出産するとわずか1か月後には練習を再開。ここまで練習を続ける理由、それは出産後、五輪を目指すという明確な目標があったからだ。その目標を定めることが出来たのは、コーチでもある夫・周平さんのサポートが大きかった。赤羽は大学時代に同じ陸上部でマネージャーを務めていた周平さんと結婚。夫は仕事を辞め、専属コーチとして、妻が所属する実業団に入った。産後、練習を始めると体のダメージは想像以上に大きかった。苦しむ姿を見た夫は、家庭でも、全面的にサポートすると決めた。食事も周平さんが担当。そして、娘が1歳になると、練習にも連れていくようになった。着々と力をつけていった赤羽。その原動力には、間違いなく夫と娘の存在がある。母として、練習にかけられる時間は制限されるが、焦点をしぼり、集中して練習が出来るようになった。そして、北京五輪代表選考会に挑んだ。レースでの優勝は逃したものの、レース内容が評価され、北京五輪の切符を掴み、日本人初の五輪ママさんランナーとなった。結果は20位に終わったが、赤羽はその後も挑戦を続け、フルマラソンへ転向。2011年には、世界陸上へ出場。力強い走りを見せ、5位入賞を果たした。ママさんランナーの先駆者となった赤羽は、2014年、35歳で現役を引退した。
2019年世界陸上。日本から唯一ママさんアスリートとして出場した 寺田明日香。彼女はママさんアスリートとして、前例のない経歴の持ち主だ。2017年、寺田は学生時代から続けていた陸上を一度引退し、7人制のラグビーの選手となった。足の速さをかわれ、日本代表にも選出。月のほとんどが遠征合宿となり、家族と過ごす時間は極めて少なかった。育ち盛りの娘と離れるのが何よりもつらかった。そんな寺田に悲劇が襲う。試合中、相手選手と交錯し、右足首を骨折。3ヶ月の離脱、寺田はラグビー選手として、限界を感じていた。お見舞いにやってきた娘は、寺田の側を離れようとしなかった。寺田は悩んだ。娘に辛い思いをさせてまで、現役を続けていいのか?それとも引退して、専業主婦になるべきなのか?すると娘は、驚きの言葉をかけたという。「ママの仕事は練習、果緒の仕事は保育園。」ママと離れるのは寂しいに違いない。それでも泣き顔1つ見せず、応援してくれた。そんな娘の気持ちに応えようと、寺田は大きな決断を下した。「陸上選手に復帰する」。寺田は、家事と育児をこなしながら、陸上選手として現役を続けると決めた。そして、2019年9月寺田は100mハードルで19年振りに日本記録更新をした。
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