バックナンバー:バース・デイ

BACK NUMBER #713 2020.4.25 O.A.

バックナンバー
4年に一度のオリンピック出場を懸けた女たちの戦い
バース・デイのカメラが収めた、オリンピック代表の座を懸けた、女たちの戦いの記録。
世界の舞台で活躍する日本の女子バドミントン。特にダブルスでは、世界ランクトップテンの中に、日本勢が3組も入っている。この躍進ぶりは、ある一組のペアから始まったといっても過言ではない。オグシオで一世を風靡した、小椋久美子と潮田玲子。全日本総合で5連覇、そして世界選手権でも銅メダルを獲得。しかし、北京五輪で5位入賞を果たしたそのわずか3か月後…オグシオは解散。ペア解散から、5か月後の2009年4月。潮田は新たな道を歩み始めた。池田信太郎とペアを組み、ミックスダブルスでロンドン五輪出場に挑戦することを発表。心機一転、新たな種目を始めたが、その道のりは困難を極めた。結成1年後に出場した大会では、潮田が、男子選手のスマッシュに対応できず、2回戦で敗退。国内で無敵を誇った潮田の姿はどこにもなかった。結果が出なかったのには理由がある。潮田はある弱点を抱えていた。それは、ネット前のスイング。どうしても、男子選手の球に振り遅れてしまう。潮田はスイングの矯正に多くの時間を割いた。迎えた2011年12月、全日本総合決勝。この大会でミックスダブルス転向後、初めて日本一に輝いた。その後、潮田・池田ペアは、海外で行われた試合でも好成績を収め、見事、ロンドン五輪出場を決めた。
2007年11月、東京国際女子マラソン。北京五輪で2連続の金メダルを目指していた野口みずきは日本代表の座を掴むためレースにエントリーしていた。野口はアテネ五輪で過酷なレースを制し、金メダルを獲得。その翌年2時間19分12秒という日本記録をたたき出した。だが、それ以降野口は苦しんでいた。相次ぐケガに見舞われ、大会を欠場。北京五輪へ向けて大きくつまずいていた。野口にとって2年2か月ぶりのマラソン。失ったレース感を取り戻すため、野口は本番の1か月前まで、海外合宿で徹底的に走りこんだ。そして本番。野口は大会記録を更新する圧倒的な強さで優勝。東京国際女子マラソンでの優勝、さらに3つの選考レースの中で、タイムも最速だった野口が、2度目となる五輪出場を勝ち取った。
2019年に現役を引退した吉田沙保里。それまで4度五輪に出場し、金メダル3つと銀メダル1つ獲得。まさに国民的なレジェンドだ。そんな吉田が、初めて五輪出場を目指した、アテネ五輪では国内で壮絶な代表争いを繰り広げた。ライバルとなっていたのは山本聖子。世界選手権で1999年から3連覇を皮切りに4度も世界一に輝いていた。そして、山本よりも2歳年下の吉田沙保里も、2002年から2年連続で世界一になっており、どちらが日本一になっても、金メダルは確実と言われていた。たった1枚のアテネへの切符。人生をかけた二人の戦いは、壮絶なものだった。吉田は子供の頃から、男子相手でも、得意のタックルでなぎ倒してきた。そんな吉田が中学に入ると、どうしても勝てない相手が現れた。それが、山本だった。山本は、姉も元世界チャンピオン。父もミュンヘン五輪代表というレスリング一家で育った。吉田は山本を倒すため、猛練習に励んだ。そして2002年の公式戦で、初めて山本に勝利。吉田は雲の上の存在だった山本のライバルとなった。それ以後の公式戦でも、山本に連勝。勢いは、完全に吉田にあるかと思われたが、全日本の合宿では、山本に連敗。ライバルの意地を見せつけられた。そして、アテネ五輪の出場権を懸けて、2人が激突。2003年12月の全日本選手権と2か月後に行われるクイーンズカップ。両方に勝ったものが代表に選ばれる。最初の全日本選手権では延長戦までもつれ込み、吉田が勝利。つづくクイーンズカップでも激闘の末、吉田が勝利した。この瞬間、吉田の五輪初出場が決まった。
立ちはだかるライバルや、降りかかる困難に打ち勝つ瞬間は、多くのドラマが生まれる。これからも我々はその瞬間を追い続けていきたい。
[BACKNUMBER]
banner_AD
Loading…

SNS

TBSトップページサイトマップ Copyright© 1995-2021, Tokyo Broadcasting System Television, Inc. All Rights Reserved.