バックナンバー:バース・デイ

BACK NUMBER #712 2020.4.18 O.A.

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病に打ち勝ち、奇跡の復活を果たした男達…岩下修一 赤松真人
重い病を患いながら、劇的な復活を見せるアスリートたち。その姿は観る者を熱くさせる。
2000年、オリックスに所属していた岩下修一。社会人野球からドラフト4位で入団し、12球団最年長でプロ入りした遅咲きの投手。大きく曲がるスライダー…鋭い変化にあのイチローも驚くほどだった。その才能を大きく評価され、1年目から一軍で活躍。順調なスタートを切っていた。そんな岩下がプロ2年目を迎えた2001年。シーズン中の7月に悪夢が襲い掛かった。40度の高熱を出し、運び込まれた病院で、医師から「急性骨髄性白血病」と宣告を受けた。発症後の生存率が50%の危険な病だった。検査翌日から始まった抗がん剤治療。岩下はここで思いもよらないことを医師に申し出た。通常の5倍の抗がん剤投与。医師と何度も相談し、治療計画を立てられたが、危険を伴うものだった。岩下には早くプロ野球に復帰しなくてはならない理由があった。かけがえのない家族を何としても守りたい。妻・さちよさんとの間に、長女・ちはるちゃんが誕生したばかりだった。遅咲きの自分がいつまでプロで活躍出来るかわからない。1日も早く復帰するための治療法だった。だが、この治療は過酷を極めた。副作用により、髪の毛は全て抜け落ち、激しい吐き気が襲った。そんな過酷な闘病の中、岩下を癒してくれたのが、家族との時間だった。入院から4ヶ月後、岩下は退院した。チームからは、まだまだ貴重な戦力として評価され、契約を更新。退院後、復帰に向けたトレーニングが始まった。そしてついに岩下がプロ3年目となった2002年3月10日。2軍戦のマウンドに上がった。白血病の発症からわずか8ヶ月という異例の速さだった。打者2人に対し、わずか4球で見事に抑えきった。それは壮絶な闘病を乗り越え、病に打ち勝った瞬間だった。その後岩下には新たな家族が増え、3人の娘に囲まれた生活を送っている。そして、2020年日ハムの打撃投手として、チームを支え続けている。
一方、多くのファンに力を貰い、壮絶な病から戻ってきた男がいる。広島カープ・赤松真人。赤松は、そのプレーで何度もファンを魅了し続けてきた男だ。2016年には、リーグ優勝にも貢献。だが、その喜びからわずか1ヶ月後に、胃がんが見つかった。2017年には胃の半分を切除し、手術は無事成功した。だが、その後、がんがリンパ節にも転移していることが判明。抗がん剤治療が始まった。強い倦怠感や吐き気など、強い副作用。野球を奪われ、ただひたすら病と闘う日々だった。そんな赤松と家族の支えとなったのが、ファンの存在だった。全国から届いたファンからのメッセージ。その中には同じ病と闘っている人からのエールもあった。多くのファンが待ってくれている。復帰を目指す赤松にはこれ以上ない支えだった。半年に渡った抗がん剤治療を耐え抜いた。そして復帰に向けたトレーニングが始まった。体は思うように動かないが、その表情は充実感に溢れていた。さらに、妻・寛子さんは食事に気を配り、支え続けた。胃を半分切除したことで、負担がかからないよう、食材を以前より細かく切りながら調理。小さくなった胃から栄養をしっかり吸収できるよう、よく噛んで食べた。応援してくれる人たちのためにも必ず復帰する。そんな強い気持ちを持ち続け、地道なトレーニングを重ねていった。そして…2018年3月。ついに赤松がグラウンドに戻ってきた。待ちわびたファンから熱い声援が飛ぶ。胃がんを患って以来、実に1年4ヶ月ぶりの公式戦だった。久しぶりの公式戦に、笑顔が溢れた。壮絶な闘病を乗り越えた男が、復帰を果たした瞬間だった。赤松は引退後、広島の二軍外野守備走塁コーチに就任。第二の人生を歩んでいる。
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