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BACK NUMBER #617 2018.5.5 O.A.

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鉄人逝く・命尽きるまで野球愛を貫いた男・衣笠祥雄
2018年4月23日、鉄人の愛称で親しまれた、元広島カープの衣笠祥雄がこの世を去った。
連続試合出場の世界記録(当時)を樹立。昭和の日本に誇りと勇気を与え、王貞治に次ぐ球界2人目の国民栄誉賞を受賞した。引退後も解説者として、野球ファン、そして選手・指導者から愛され、尊敬された人だった。亡くなるわずか4日前にも、解説者として、球界の後輩たちにエールを送っていた。衣笠は現役引退翌年から、実に30年の長きに渡り、TBSの野球解説を務めた。選手・解説者として、野球を愛し続けた男の生き様を秘蔵映像で綴る。
衣笠がプロ野球界に足を踏み入れたのは1965年、巨人のV9が始まった年だった。入団した広島は万年Bクラス、弱小チームだった。個性を出し、何とかレギュラーの座を掴もうとたどりついたのがあのフルスイング。三振も多いが、当たれば火の出る長打を放つスタイル。しかし、常にボールに向かっていくスイングにはデッドボールが付き物となった。その数、歴代3位の161個。その度、当てられた衣笠は怒るどころかピッチャーに笑顔を返し、一塁に向かった。何故そんなことが出来たのか?その真意が垣間見えた試合がある。巨人・西本の投球が衣笠の背中を直撃し、両軍入り乱れての大乱闘に発展。謝罪しようと駆け寄った西本に衣笠はこう言葉を返したという『おまえ、危ないからベンチに帰っとけよ』試合後に下された診断は左肩甲骨の亀裂骨折。連続試合出場が1000試合を超え話題になっていた時だった。誰もが記録が途切れると思った。しかし衣笠は、翌日の試合に代打でバッターボックスに立った。ピッチャー江川に対し、三振したものの、その全てがフルスイングだった。なぜ無理を押してフルスイングしたのか?衣笠はこう語った『1球目はファンのため。2球目は自分のため、3球目は西本君のために振りました』。その言葉には『自分の武器であるシュートで挑んできた、若い西本がこのアクシデントで力を出せなくなって欲しくない』というメッセージが込められていた。
広島カープは『江夏の21球』という名で呼ばれる1979年の日本シリーズで、球団創設以来の日本一の座についている。あの江夏の熱投の裏にも衣笠の言葉があった。3勝3敗で迎えた第7戦。1点リードで迎えた9回裏、マウンドには守護神・江夏がいた。しかし、守備の乱れなどからノーアウト満塁の大ピンチ。この時、ベンチがリリーフの準備を始めた。「ベンチが自分を信用していない」マウンドで江夏は怒りに打ち震えていたのだ。江夏はこの時のことを40年近く経った今も鮮明に覚えているという。すると、気持ちを察した衣笠が江夏に駆け寄り、こんな言葉をかけた。『俺も、お前と同じ気持ちだ。ベンチやブルペンのことなんて気にするな。お前に何かあったら、俺も一緒に辞めてやるよ』。闘争心が蘇った江夏は球史に残るドラマを演じた。その後、衣笠は数々のタイトルを獲得し、チームを黄金期に導いた。1987年、実に17年間ひと試合も休まず連続試合出場2215という記録を残し、ユニフォームを脱いだ。
野球解説者となった衣笠が体調を崩したのは4年前の2014年のことだった。だが、その事実を伏せ仕事を続けた。2017年1月には名球会のイベントにも参加。亡くなる4日前の解説の仕事も衣笠の強い意志だった。病で声が出ない中、3時間に及ぶ中継で、選手への激励が続いた。
命尽きるまで野球への愛を貫いた衣笠祥雄。世界に誇る偉大な記録と共に、大いなる優しさを私たちは決して忘れない。
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