2015年4月期連続ドラマ毎週日曜よる9時

インタビュー

蜂谷三郎さん(秋山徳蔵さん三男)

お父さまである秋山徳蔵さんはどんな方でしたか?

一言で言うと、非常に几帳面です。
そして、昭和天皇のためにすべてを捧げたような人です。
私が小さいころは仕事一本やりで、自宅に帰ってくるとピリピリしているので家族みんなが怖がっていました。私たちには怖い人としか思えなかったです。きっと務めていた環境が影響しているのではないかと思いますが、すごく短気なんですよ。
むしろ、父親としての良い部分は60歳過ぎてから出てきましたね。仕事を続けていくうち、ある地位に到達して、吉川英治さんや、菊池寛さん、堂本印象さん、横山大観さん… こういう方たちとの付き合いが出てくると、相手が一流の方々ですから会話の内容も良くなっていって、すると父もそれに耳を傾け、円熟味を増していったのではないかと、私は今では思っています。
私が子どものころは本当にそんなタイプではなく、ドラマのとおりカリカリしていましたよ。

ご自宅でお料理は?

全くやらなかったです。
子どものころ、日曜日に自宅にご飯しかないときがあって、そのときは 「お前、そのおひつを担いで一緒に来い」 と言われて、近所に大きな中華料理屋さんがあったのですが、そこの厨房で、チャーハンをつくってくれたことがあります。そのくらいのものですね。
料理人なら家でも何かつくればいいのにと思っていましたよ。
それから、自宅での食事もそんなに豪華ではなかったです。ご飯と納豆だけだったり…。だけど不満をぶつけたことはなかったです。終戦直後は何もない時代ですから。乾パン一袋で一日を凌いだり… そういう時代でした。

料理人という職業について

小学生のころ、父が料理人だということは、非常に恥ずかしいと思っていました。
「お前のお父さん何やってるの?」 と聞かれると、料理人とは答えずに 「質屋だよ」 と言ってごまかしたりしていました (笑)
皆さんがどうお考えになるかわからないですが、料理人の社会的地位は私が子どものころは非常に低かったので 「料理人だ」 とは、当時の私は言えなかったんです。父がそれなりの地位になってからは、言えるようになってきましたよ。大礼服を着てピシっとすると立派なものでした。

お父さまの料理人としての人生

誰でもができる道だと思います。努力すれば。
努力の度合いと周りの人のサポート、それと運。こういうものの重なり合いが父をつくったのだと思います。
けれど、父がよく言っていた 「人からものを教わるよりも、知らないことを奪うんだ」 という気持ちを持つくらいに努力をするということが大変なんです。そういう気持ちを持つ人に対しては運も人も付いてくるんでしょうね。うちの父親は、周りに助けられてあったんじゃないかなと思います。

愛のある方でしたか?

ありますね。私にとっては、非常にいい父親でした。
人からも愛されていました。吉川英治さんは、うちの父のことを 「じゃがいも」 なんて、あだ名をつけて非常に可愛がってくださっていたようですし (笑)、どの方からも可愛がられていたようですよ。

ドラマ化されたことについて

本当にありがたいと思っています。
以前、父が悔しがっていたのは 「調理人というのはどんなに美味い料理を作っても、そのときで終わってしまう。味も自分一代だ」 と、「芸術家は後に物として残るから、そこが全然違うんだ」 と、言っていました。けれど今回、ドラマをつくっていただいて40年ぶりに形が残りますよね。きっとあの世で喜んでいると思います。ありがとうございます。

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