プロテストに合格し、4月にプロデビュー戦。
大阪府立体育館に8000人を集めたメインイベントでトンタイレック・ポーウォラシン(タイ)と対戦し、
3RTKO勝利。
井岡一翔
井岡一翔
井岡一翔
- WBC世界ミニマム級王者(防衛2)
前日本ライトフライ級王者 - 生年月日
- 1989年3月24日生まれ
- 出身
- 山口出身〜大阪府堺市
- プロ通算戦績
- 9戦9勝(6KO)無敗
- アマチュア通算戦績
- 105戦95勝(64KO・RSC)10敗
- タイプ
- 右ボクサーファイター
- 所属
- 井岡ジム
-
プロ全成績:9戦9勝(6KO)無敗
日付 結果 対戦相手 1 2009年4月12日 ○ 3RTKO 6回戦 トンタイレック・ポーウォラシン (タイ) 2 2009年7月26日 ○ 2RTKO 8回戦 松本 博志(角海老宝石) 3 2009年12月29日 ○ 判定勝利 10回戦 國重 隆(大阪帝拳) 4 2010年4月18日 ○ 判定勝利 10回戦 ヘリ・アモル(インドネシア) 5 2010年7月25日 ○ 9RTKO 10回戦 アルバート・アルコイ(フィリピン) 6 2010年10月10日 ○ 10RTKO 10回戦 瀬川 正義(横浜光)
(日本ライトフライ級王座決定戦)7 2011年2月11日 ○ 5RTKO 12回戦 オーレドン・シッサマーチャイ(タイ)
(WBC世界ミニマム級タイトルマッチ8 2011年8月10日 ○ 判定勝利 12回戦 ファン・エルナンデス(メキシコ)
(WBC世界ミニマム級タイトルマッチ 防衛1)9 2011年12月31日 ○ 1RTKO 12回戦 ヨードグン・トーチャルンチャイ(タイ)
(WBC世界ミニマム級タイトルマッチ 防衛2)
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略歴叔父の元2階級制覇世界王者・井岡弘樹(現井岡ジム会長)の影響で中学1年の時に
井岡弘樹が所属していたグリーンツダジムでボクシングを始める。
中学3年時に井岡弘樹が設立した井岡ジムに移籍。
興國高等学校に進学し、
2年時にライトフライ級で選抜大会・インターハイ・国体の高校三冠を達成。
3年時には史上3人目となる高校六冠を達成。
東京農業大学に進学し、北京オリンピックを目指すも全日本選手権で敗退し出場を逃す。
2009年1月
2009年7月日本ミニマム級7位の松本博志(角海老宝石)と対戦し、
2Rにダウンを奪いそのまま連打でまとめTKO勝利し日本ランク入り。
2009年12月世界ランカーの國重隆(大阪帝拳)に3-0の判定勝ちを収め、その後世界ランク入り。
2010年4月インドネシア王者のヘリ・アモル(インドネシア)と対戦し、
9Rに人生初のダウンを奪われたが、大差の判定勝ちを収める。
2010年10月日本ライトフライ級王座をかけ、瀬川正義(横浜光)との王座決定戦を行い、 10RTKO勝利で初のタイトルを獲得した。
2010年12月世界挑戦に専念するため日本王座のベルトを返上した。
2011年2月11日神戸ワールド記念ホールにてオーレドン・シッサマーチャイ(タイ)との WBC世界ミニマム級タイトルマッチに挑戦。2度のダウンを奪い、世界のベルトを手中に収めた。 この試合の勝利によって、それまで辰吉丈一郎と名城信男が保持していた国内最速記録を更新する、 7戦目での世界王座獲得に成功すると同時に、平成生まれの選手としては初の世界王者となった。
2011年8月当時同級1位のファン・エルナンデス(メキシコ)と世界初防衛戦を行い、3-0の判定勝利。
2011年12月大晦日に行われた2度目の防衛戦では、
当時同級10位のヨードグン・トーチャルンチャイ(タイ)を1R98秒でマットに沈め、
日本人選手による世界王座防衛戦としては最速記録を打ち立てた。