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松坂大輔×松坂になれなかったPLナイン

奴のおかげで人生が変わった。

甲子園伝説の名勝負 横浜 VS PL学園 10年ぶりの同窓会

2009年1月。
かつて伝説の名勝負を演じた男たちが同窓会を開いた。発起人はメジャーリーガー・松坂大輔。その松坂の呼びかけによって集まったのは10年前甲子園で壮絶な戦いを演じた横浜高校とPL学園の選手たち。
一堂に会するのは試合後初めてのことだ。

1998年、夏の甲子園。
記念すべき第80回大会の準々決勝で行われた横浜vsPLは甲子園の長い歴史の中でも屈指の名勝負として、今も多くの人々の心に刻まれている。横浜高校のエースは超高校級という呼び声すら凌駕していた松坂大輔。その松坂に野球名門校のPL学園が必死に食らいついた。戦いは延長17回、3時間37分に及ぶ死闘だった。松坂はそれを1人で投げ抜き、250球目に勝利を掴んだ。ゲームセットの瞬間、勝利して涙する者がいた。負けても笑顔で相手を讃える者がいた。激闘は戦い抜いた者たちにしかわからない友情を生んだ。

あれから10年。
松坂はプロ野球を経て100億円の巨額が動く「世界の松坂」となった。松坂を除く両校ナインの中でプロ野球選手になったのは7人、そのうち2人はすでに戦力外通告を受けた。ほかの多くの者は野球とは離れたそれぞれの道を歩んでいる。

試合を動かした 痛恨のエラー。PLのショート、本橋は この試合で
人生が大きく変わった・・・・

PL学園の3番・ショートとして戦った本橋伸一郎はあの試合で人生が大きく変わった。延長17回表、二死走者なしの場面。本橋は平凡なショートゴロを一塁へ悪送球してしまった。その直後、次の打者に決勝ホームランを打たれた。たった1球のミスで、本橋は敗因エラーのレッテルを貼られた。
本橋は小学校1年生で野球を始めた頃からずっとプロ野球選手を目指していた。高校卒業時には複数のプロ球団から誘いの声がかかった。しかし、「もっと力を付けてからプロに行きたかった」ため大学に進学した。

しかし、その大学野球で思いもよらない出来事が待っていた。試合になると相手ベンチから野次が飛んできた。「甲子園でのエラー知ってるぞ」「また暴投してくれよ」。本橋はその言葉を聞き流すことができなかった。あの試合での暴投が脳裏に甦る。思いつめた本橋は試合で何度も悪送球を繰り返すようになった。結局、大学4年間でいい結果を残せず、卒業時にプロ球界から声がかかることはなかった。プロ野球選手になるという目標を失った本橋は定職に就かず飲み歩く毎日を過ごした。

そんな本橋を救ったのは、運命的な出会いだった!