2012年10月12日(金)よる10時誕生
大奥に奉公する「奥女中」は誰もがなれるわけではなく、「旗本」以上の家柄の女性にのみ大奥へ奉公する資格がありました。旗本とは、1万石未満の家臣で、将軍が出席する儀式に参列できる資格「御目見」以上の者を言います。しかし、実際には御目見以下の、御家人出身の娘のほか、町民や農民の娘も奥女中として召抱えられていました。資格のない女性がどのようにして奥女中になれたかというと、旗本を仮親として養女という体裁を取り、奥女中として奉公したのです。
このようにして、旗本出身という体裁を調え奥女中となる資格を得たら、奉公に出るための願書を提出して、御年寄による面接を受けます。この面接を「お吟味」と言いますが、このとき筆記と裁縫の簡単な試験が行われたそうです。
お吟味が終わると後日、身元取調べが行われ、約1ヶ月ほどで「○○月○○日に出向くように」という内容の通知が送られて、晴れて大奥入りとなります。指定日に大奥へ上がると、御広敷で御年寄から、奥女中として働く名前と役向きを伝えられます。なお、奥女中として奉公する役ですが、旗本や御家人出身の女性は、最低でも御三の間からスタートし、その働きが認められれば御年寄になるチャンスもありました。
一方、それ以外の女性の場合は、御末か御使番からのスタートとなり、役職が上がったとしても御三の間止まりでした。しかし、大奥に奉公している間には、高価な着物を手に入れるチャンスもあり、退職してからは「大奥で奉公した」というステイタスも付いて回るので、低い役職の女性も大奥へ奉公するメリットは大きかったことでしょう。また、京都の八百屋の娘として生まれて、お万の方の侍女として大奥へ入り、後に5代将軍綱吉の生母となったお玉のように、ひょんなことから将軍の側室となる可能性はゼロではないので、そのような玉の輿を夢見る奥女中も少なくはなかったのではないでしょうか。