
爆弾を積んだ戦闘機で敵艦に体当たりする特攻作戦。太平洋戦争では旧日本軍の3882人が特攻で戦死。その6割以上は鹿児島から出撃した。彼らは何のために、何を守るために死んでいったのか。
鹿児島・鹿屋基地から出撃した99歳の元特攻隊員は、目的地へ向かう途中、天候不良で作戦が中止となり生き残った。特攻は「志願ではなく命令だった」と証言し、当時の心境を「作戦に疑問は持たなかった。怖いとも思わなかった」と振り返る。
特攻機を援護する部隊にいた98歳の男性は、8月15日に出撃命令を受けていたが終戦により作戦中止となった。
「後から行くからなと同期に約束しておきながら、自分は散る桜になれなかった。後ろめたさがある」
鹿児島県本土の南にある黒島にはかつて特攻隊が不時着した。島に暮らす中学生たちは、80年前、島民と特攻隊の交流があったことを知る。
「今から生まれてくる子たちにも知ってもらい、引き継いでいきたい…」
特攻とは何だったのか?当事者の証言を記録し、次の世代へ語り継いでいこうとする若い世代の姿を見つめた。
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