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「第3章」インカ:帝国の終焉

国家としてのインカは、1533年のスペイン人による「最後の皇帝」アタワルパの処刑をもって終わるとされるが、その後もインカの人々は主に3つの方法で、抵抗と自己主張をする。
武力を行使した抵抗としては、スペイン人が擁立した傀儡王マンコ・カパックが首都クスコから逃れてアンデス山中ビルカバンバに立てこもった例が有名だ。
この「新インカ帝国」の抵抗運動も、1572年には、最後の王トゥパック・アマルが捕えられ終息する。
一方、首都クスコに残ったインカ貴族は、スペイン人と妥協しながら、彼らの法律や制度を学び、自分たちの権利と尊厳を主張した。これは、スペイン人にとってもインカから奪い取った広大な土地・資源・人を管理するのに、インカの権威を利用できるのは願ってもないことだった。
そして最後に、民衆の想像力のなかに忍び込むインカの姿である。
アタワルパの処刑から250年の時を経て、ホセ・ガブリエル・コンドルカンキはインカ皇帝トゥパク・アマル(2世)を称し、民衆のインカ復活の熱望を組織した大反乱をおこした。しかしながら、スペイン支配を終わらせることはできなかった。
この反乱の鎮圧以降も、インカという過去への幻想は、歴史の伏流水となり、再び世に出ることを人々は夢見るのであった。

ここでは、植民地期にインカのイメージがどのように生き残り、植民地統治に影響を与えていったかを考察します。

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