報道の魂
ホウタマ日記
2016年06月23日 「ビルマから来た少女」放送後記 (神田和則)
「なんて前向きで、明るい子なんだろう」

テーテーさんを初めて取材した時、そう感じずにはいられなかった。

この時15歳。置かれた状況は、この年齢の少女にとって過酷としか言いようがなかった。

突然、祖国の中学で学ぶことができなくなり、仲の良い友達とも別れ、生活習慣や文化がまったく異なる日本の社会で生きざるを得なくなった。しかし、どんなにつらくても軍事政権が続く限り、元の暮らしに戻るメドは立たない。

テーテーさんはそんな環境にあって笑顔を絶やさず、学ぶ意欲を見せ続けた。自宅や日本語学校で勉強した日本語は、わずか2年半で日常会話に何の不自由もないほどに上達した。日本の学校に入学する手立てがわからないため、英語の塾に通い始め、そこでも懸命だった。

それだけに夜間中学に進む道が開かれた日のうれしそうな表情は忘れられない。

初めて登校する日、福田功カメラマンはテーテーさんの気持ちに寄り添いながら、カメラを回していた。

かわいらしい麦わら帽子が、近付いてくる都電を見ている。電車が踏切を通過すると帽子が傾き、カメラはこちらを向いたテーテーさんの不安そうな表情をとらえる。踏切を渡って1人で学校に向かう足元。体育館に差し掛かると、館内に響く部活動の練習の声やボールの音が聞こえ、テーテーさんがのぞき込むような仕草を見せる。「学校に来た」という喜びと実感、そして不安…、交錯する思いが一つ一つのカットに映し出された。

取材を始めた当初、こんなにも長い間、テーテーさんが帰国できないとは考えてもみなかった。軍事政権の基盤は年々、強固になり、はたして民主派が実権を握る日は来るのかとさえ思った。

いま、民主化を求めて世界各地で闘ってきた多くのミャンマー人が、ようやく祖国再建に力を発揮する時が訪れた。

テーテーさんは間違いなくその1人だし、日本を最もよく理解し、日本語が最も上手なミャンマー人だ。

そう遠くないうちに、テーテーさんが再び祖国の地を踏む日が来ることを、心から願うばかりだ。

(神田和則)
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