報道の魂
ホウタマ日記
2007年09月22日 「揺れ続ける原発城下町 〜新潟県中越沖地震2か月〜」編集後記 (岩城浩幸)
1年前、報道の魂 #13で放送したのが「揺れ続けるムラ〜新潟県中越地震2年“絆”〜」、そして今回が「揺れ続ける原発城下町〜新潟中越沖地震2か月〜」。取材に入るに当たって新潟放送の佐藤、吉井両記者と一致したのは、二度の大地震では復興の道が全く異なるという認識でした。

3年前の中越地震が突きつけたものは、この日記で記したように、地震で引き裂かれたムラがどのように再生していくかということでした。そして象徴的な例として取り上げた小千谷市塩谷は、過疎地の後継者でもある子供たちの犠牲を乗り越えて、新たな絆で結ばれつつありました。

今度の中越沖地震は、世界最大といわれる原子力発電所の直下で発生しました。「想定を超える地震」と関係者は言います。したがって、停止した原発は再開のメドが立ちません。どのようなプロセスを経て、どのような作業のもとに再開できるのか。「廃炉」という言葉も聞かれます。

技術的な問題だけでなく、原発関連の雇用、関連業者、市や村の予算はじめ地元経済への影響ははかり知れないものがあります。こうした直接、間接の不安は、いまだかつて誰も経験したことがないものです。この地震からの復興の道は、いわば人類が経験したことのないものなのです。

#5で放送した柏崎市高柳町門出の小林康生さんから和紙の便りが届いたのは、地震発生から一月あまりが過ぎた8月下旬のことでした。「高志の生紙便第15号」には、次のように記されていました。

『世界一といわれる柏崎・刈羽原発7基は、東電の20パーセント、東京都内70パーセントの電力を送っているそうだ。当然少しは節電を呼びかけると思っていたら、何もなかったかのように通常のままであるのを見ると、都内にせめて1基でも作ってもらいたい気分になる。想定外の地震であったとか、初めての実験だったという知識人の言うことは、一般人とはかなりかけ離れているようだ。しかしこのまま原発を失くしていいかと言われれば、あの火力発電所の紅白の煙突からモクモクとたなびく煙を見るにつけ、本当に地球に悪いことをしている象徴のようでもある。せめて過剰なエネルギーの節約を先ずはやるべきではないか。原発に対する疑念の心と本当に柏崎から原発が撤退したなら、その経済基盤を根底から失うことになり一般市民の心は複雑極まりないところである。
誰の心にもこのまま進むことに対して未来への漠然とした不安の兆しを垣間見たような出来事だった』

小林さんを取材したのは、平成の大合併がもたらしたもの、特に「過疎」をどうとらえるべきか、ということでした。この地震は、そうした部分にも皮肉な現象をもたらしていました。「生紙便」は次のように続きます。

『今回の地震によって、高柳地域の夜の人口は一夜にして増えた。電気、ガス、水道がストップして市内での生活が困難になったため、高柳から引っ越した若手家族は残っているじいさん、ばあさん宅にどっと押し寄せてきた。我が家も暫くいとこが家族になっていたが、隣の家も普段は静かな年寄り二人暮らしから子、孫がやってきて随分にぎやかな声が夕食時に聞こえていた。過疎になる前の農村風景とはこんなものだったに違いないと思うとちょっと胸が熱くなった。どうして都市部と農村、ちょうどよくならないものだろうかとしみじみ思う』

中越沖地震が投げかけた問題の諸相が、この「生紙便」に凝縮されています。これを私自身の問題意識として共有していきたいと思います。

解説委員 岩城浩幸
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