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第286回2002年02月03日
プエブラ歴史地区(メキシコ)
遺産名:
プエブラ歴史地区
Historic Centre of Puebla
所在地:メキシコ(Mexico)
分 類:C(ii)C(iv)
登録年:1987
放送日:2002年02月03日
放送回:第286回
プエブラ歴史地区
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"プエブラ・デ・ロス・アンヘレス"、プエブラが「天使の街」と呼ばれた由来は16世紀にメキシコに侵攻したスペイン人の伝説にある。キリスト教布教のため深山に籠もった2人の修道士の夢に、まっすぐな綱を持った天使に、碁盤目状に道を拡げ、新しい街をつくるように告げたという。1531年、この啓示により、メキシコシティーの東およそ100kmに典型的な植民地スタイルの街、プエブラが誕生した。
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プエブラの建設は、12km離れたチョルーラの地に始まる。ここは、10万人もの人々が暮らし隆盛をきわめた先住民の一大宗教センターであった。世界最大級の神殿ピラミッドに目をつけたエルナン・コルテス率いるスペイン人は1519年夏、6千人にも及ぶ先住民を殺し、ロス・レメディオス聖堂を建立してチョルーラをキリスト教の支配下に治め、次なる布教の拠点にプエブラを選んだ。
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19世紀中ごろ、ベニート・ファレス大統領は勢力を持ちすぎたキリスト教会を弾圧し、修道院を廃止した。街の一角に佇む旧サンタモニカ修道院は17世紀につくられ、弾圧後も信仰を秘密裏に守り続ける修道女の隠れ家であった。生涯一歩も外へ出ず、一心に信仰と祈りを捧げたその閉ざされた生活は、1934年警察に発見され終幕となるまで75年間も続いた。
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チーナポブラーナ、"プエブラの中国人"を意味する名の民族衣装は、東方貿易の要衝地プエブラのオリエンタリズムの象徴とも思われる。そこにはヨーロッパの影響も見られ、ルーツははっきりとしない。1619年、海賊に捕えられキリスト教の信仰生活を余儀なくされたアジア人女性も同じ名で知られる。死後、神格化された彼女と民族衣装のイメージが重なり合い、記憶にとどめられてきたのかもしれない。
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