ジャコメッティ展

ジャコメッティの歩んだ軌跡 作品紹介

作品紹介

女=スプーン

1926 / 27年 ブロンズ 145 × 51 × 21 cm
マルグリット&エメ・マーグ財団美術館、 サン=ポール・ド・ヴァンス

Archives Fondation Maeght, Saint Paul de Vence (France)

ジャコメッティによる初めてのモニュメンタルな彫像です。パリに出てきて間もない頃のジャコメッティは、アフリカ彫刻やキュビスムの影響のもと、作品を制作していました。1923年から1924年にかけての冬には、パリで開催されたアフリカ美術とオセアニア美術の展覧会を訪れており、このとき目にした、アフリカのダン族が用いる擬人化されたスプーンが、本作のインスピレーションの源となったとされています。スプーンのような大きな腹と1本の脚、そして小さな頭部をもつ造形は、このアフリカ彫刻にならい、豊饒さを象徴する道具を女性の姿に重ねることで生まれたのです。そしてジャコメッティが20代の半ばで手掛けた《女スプーン》は、やがて彼が生涯をかけて探求することになる、「女性立像」のシリーズを予言しています。

1947年 ブロンズ、針金、ロープ、鉄 81.3 × 71.1 × 36.8 cm 大阪新美術館建設準備室

モデルに基づく制作へと方向転換した後の作品にもかかわらず、本作はシュルレアリスム的な特徴も備えています。眼が窪み、口の開いた頭部は頭蓋骨を思わせますが、ジャコメッティは《鼻》を制作する25年前、パリに出た直後にも頭蓋骨の絵に没頭していました。このモティーフに執着し続けた背景には、20歳のジャコメッティがイタリア旅行中に遭遇した友人の死、「頭をそらせ、口を開いた」姿を見たショックがひそんでいます。一方、長い鼻が特徴的な本作の直接的な起源として、ジョルジュ・バタイユが編集に携わった雑誌『ドキュマン』(1929-1930年)に掲載された、ニューギニアのオブジェ「木の鼻を付けられた頭蓋骨」の存在も指摘されています。「生きていると同時に、死んでいる何ものか」を求めたジャコメッティは、頭蓋骨に生命力の宿りを見ていたオセアニアの信仰に、鼓舞されたのかもしれません。

小像

1946 / 80年 ブロンズ 23.5 × 7 × 10 cm
マルグリット&エメ・マーグ財団美術館、 サン=ポール・ド・ヴァンス

Archives Fondation Maeght, Saint Paul de Vence (France)

1934年の終わりにシュルレアリスムの時代は終わりを告げ、以後ジャコメッティはモデルと向き合いながら新たな造形を模索しました。その過程で、極端に小さな彫刻が制作されるようになります。1948年にジャコメッティは、1935年から1940年までの仕事を回顧して次のように述べました。「見たものを記憶によって作ろうとすると、怖ろしいことに、彫刻は次第に小さくなった。それらは小さくなければ現実に似ないのだった。それでいて私はこの小ささに反抗した。倦むことなく私は何度も新たに始めたが、数か月後にはいつも同じ地点に達するのだった」。本作品に見られるように、1940年代も引き続き極小の彫刻を制作したジャコメッティは、1945年から再び彫刻に大きさを取り戻し、あの細長い造形を獲得していったのです。

大きな像(女:レオーニ)

1947年 ブロンズ 167 × 19.5 × 41 cm
マルグリット&エメ・マーグ財団美術館、 サン=ポール・ド・ヴァンス

Archives Fondation Maeght, Saint Paul de Vence (France)

この女性立像は、ジャコメッティが細く長い彫像へと向かうようになった、最も早い時期の作品です。モデルは、当時のジャコメッティの恋人イザベル・デルメール。ニューヨークでの個展のために1947年に着手されましたが、結局出品されませんでした。
しかし、およそ10年後、アトリエに置かれたままになっていたこの彫刻に、再び手が加えられるようになります。本展に出品されるのは、1958年の最後のヴァージョンに基づくブロンズですが、ジャコメッティによって、制作年は1947年とされました。また、タイトルの「レオーニ」も、初めてこの石膏像の鋳造を依頼したペギー・グッゲンハイムのヴェネツィアの邸宅、パラッツォ・ヴェニエール・デイ・レオーニにちなみ、作家自ら名付けたものです。ジャコメッティの制作は、非常に長いスパンで展開されることが多く、本作の変奏を「ヴェネツィアの女」シリーズにも見出すことができます。

3人の男のグループ(3人の歩く男たち)

1948 / 49年 ブロンズ 72 × 32 × 31.5 cm
マルグリット&エメ・マーグ財団美術館、 サン=ポール・ド・ヴァンス

Archives Fondation Maeght, Saint Paul de Vence (France)

1948年からジャコメッティは、ひとつの台座に複数の人物を配した彫刻に取り組み始めます。本作品は人が絶え間なく往来する街路の光景に着想を得ており、この時期、行き交う無名の人物たちに取材した作品がいくつか制作されています。ついては離れ、離れてはまた合流する人の群れ。ジャコメッティは、人々が作り出す複雑な生きたコンポジションが、どのような彫刻や絵画よりも自分を驚嘆させたと述懐しています。本作品は、「3人の歩く男たち」の2つのヴァージョンのひとつです。台座がやや大きい別ヴァージョンに比べると、男たちは互いに接近しています。肉感だけでなく、個性を示す要素のすべてをそぎ落とされ、互いに異なる方向へと向かっていく男たち。
ジャコメッティの鋭敏な知覚は、彼らが行き交う瞬間を、運動と空間、変化する存在のすべてを取り込んだコンポジションへとまとめ上げたのです。

林間の空地、広場、9人の人物

1950年 ブロンズ 65 × 52 × 60 cm
マルグリット&エメ・マーグ財団美術館、 サン=ポール・ド・ヴァンス

Archives Fondation Maeght, Saint Paul de Vence (France)

《林間の空地、広場、9人の人物》は、同じく本展覧会に出品される《森、広場、7人の人物とひとつの頭部》および《広場、3人の人物とひとつの頭部》とともに、1950年春に完成されました。ジャコメッティは、こうした複数の人物を配した構成を、アトリエで偶然に発見したと述べています。床の上に置かれたいくつかの塑像が形づくるふたつのグループが、自らが探究していた複数の人物の構成に対応していると感じたのです。ジャコメッティは当初、これらすべての作品を「広場」と題しましたが、すぐさま、それぞれに相応しい主題を見出しました。本作品における9人の人物の構成には、前年の秋に見た魅力的な林間の空地の印象が反映しているといいます。互いに干渉することなく、静かにそびえ立つ人物たちの威厳ある姿が、直立する木々の静謐なヴィジョンに重なります。

犬、猫、絵画

1954年 リトグラフ、ヴェランアルシュ紙 50.5 × 65.5 cm
マルグリット&エメ・マーグ財団美術館、 サン=ポール・ド・ヴァンス

Photo Claude Germain Archives Fondation Maeght, Saint Paul de Vence (France)

ジャコメッティは、彫刻や絵画を制作する傍らで、デッサンを日課としていました。また、デッサンをもとに多くのリトグラフも残しています。描かれたのは、生まれ故郷スタンパの風景、身近なモデルたち、静物、パリの街、カフェの一角など、ジャコメッティが慣れ親しんでいた光景ばかり。中でも、制作の場であったアトリエは、最も頻繁に描かれました。本作もアトリエが舞台となっており、無造作に置かれた彫刻たち―中央の《猫》と《犬》、左手の歩く男の像、棚の上に置かれた胸像がみえます。ここでは、1体の彫刻を制作するときにも増して、ジャコメッティの関心は空間へと注がれているようです。ジャコメッティのデッサンを特徴付けるのは、物と物とのあいだに縦横無尽に引かれた無数の線。これらの線が、描かれた物に軽やかさを与え、物たちは重力から解放されて、1枚の紙の上に存在しているかのようです。

1951年 ブロンズ 47 × 100 × 15 cm
マルグリット&エメ・マーグ財団美術館、 サン=ポール・ド・ヴァンス

Archives Fondation Maeght, Saint Paul de Vence (France)

1951年に、ジャコメッティはいくつかの動物の石膏像―2頭の馬と1匹の猫、そして1匹の犬を制作しました。このうち猫と犬だけはブロンズで鋳造され今に残っており、本展にそろって出品されます。《犬》を制作した頃、ジャコメッティは交友のあった作家のジャン・ジュネに対し、「ある日、通りでこんな風に自分のことを想像したんだ。僕は犬だった」と打ち明けたといいます。この痩せ衰えて、尻尾と頭を垂れた犬に、ジャコメッティは自分の姿を重ねていたのです。そしておよそ10年後にも、驚くほど詳細にこのときのことを回想しています。「ある日、ヴァンヴ通りの建物の壁に沿って、雨の中をうつむいて歩いていて、少し悲しい気持ちだった。そして僕はそのとき自分を犬のようだと感じたんだ。だから僕はこの彫刻を作った」。ジュネは、そんなジャコメッティの《犬》を「孤独の最高の理想化」と称えました。

ディエゴ

1949年 鉛筆、紙 53.2 × 37 cm
マルグリット&エメ・マーグ財団美術館、 サン=ポール・ド・ヴァンス

Photo Claude Germain Archives Fondation Maeght, Saint Paul de Vence (France)

ディエゴの胸像

1954年 ブロンズ 39.5 × 33 × 19 cm
豊田市美術館

ジャコメッティは、1935年頃から頭部の構造に関心をもち、同じモデルの顔を繰り返し描くようになります。1950年代には、1歳年下の弟ディエゴをモデルに、胸像7点と頭部の彫刻を数点制作しました。本展覧会には、彫刻4点、絵画2点、デッサン2点が出品されます。幾度となく兄のモデルを務めたディエゴは、鋳物職人として兄とともに家具を制作するなど、ジャコメッティの仕事上のパートナーでもありました。1954年に制作された本作では、引き伸ばされた頭部が、存在感のある胸部と対照をなしています。極限までそぎ落とされた顔の輪郭と大きく窪んだ眼は、頭骸骨を彷彿とさせ、額や頬に刻まれた無数の線は、顔にリアリティを与えています。しかし、ジャコメッティは、「ディエゴを写実的に再現するのではなく、自分の目に見えるままに形づくろうと試みた」と語っています。この時期の人体の研究は、後続する実在の探求へとつながっていくのです。

ヴェネツィアの女Ⅰ

1956年 ブロンズ 106 × 13.5 × 29.5 cm
マルグリット&エメ・マーグ財団美術館、 サン=ポール・ド・ヴァンス

Archives Fondation Maeght, Saint Paul de Vence (France)

1956年にジャコメッティは、フランス代表としてヴェネツィア・ビエンナーレに参加しました。これを契機に制作されたのが、10点の女性立像からなるシリーズ「ヴェネツィアの女」です。1953年にヌードのアネットをモデルに彫刻を作り始めたジャコメッティは、そこに、1947年から1950年までのあいだに制作した細長い人物像とは異なる写実的な要素を取り入れました。「ヴェネツィアの女」シリーズでは、そうした異なったふたつの傾向が統合されようとしています。張った肩と引き締まった腰の強弱、胸部や臀部に施されたヴォリュームを特徴とする《ヴェネツィアの女Ⅰ》が、変化に富んだ活気を放つ一方、腕と胴体が一体化した硬質なフォルムを示す《ヴェネツィアの女Ⅲ》は、厳格な雰囲気を漂わせています。

歩く男Ⅰ

1960年 ブロンズ 183 × 26 × 95.5 cm
マルグリット&エメ・マーグ財団美術館、 サン=ポール・ド・ヴァンス

Archives Fondation Maeght, Saint Paul de Vence (France)

この大きな《歩く男Ⅰ》は、ニューヨークのチェース・マンハッタン銀行のためのモニュメントのひとつとして試みられたものです。1959年にこのプロジェクトの依頼を受けたとき、ジャコメッティは現地に赴くことなく、《歩く男》と《女性立像》、《大きな頭部》の3点を銀行の前の広場に設置することを構想し、アトリエでまず10センチ足らずの小さなマケットを制作しました。最終的には、ほぼ人間と同じ大きさの《歩く男》と、人間より大きなスケールをもった《大きな頭部》と《女性立像》を組み合わせることを考えていたようです。このプロジェクトは実現しませんでしたが、《歩く男Ⅰ》をはじめ、最終的な大きさで制作された彫像3点が、マケットとともに本展に出品されます。また、ジャコメッティは、すでに1940年代半ばから歩く男の姿に取り組み、数多くのヴァージョンを制作してきましたが、本作はそのひとつの到達点といえるでしょう。

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