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第1401回
新説 本能寺の変 434年目の真実

2016年7月9日 夜9時〜

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野々 すみ花(のの すみか)

1987年2月27日生まれ。京都府出身。元宝塚歌劇団トップ娘役。趣味は、映画・舞台鑑賞。特技は、バレエ・日本舞踊・三味線。NHK連続テレビ小説「あさが来た」や、火曜ドラマ「重版出来!」に出演。野々すみ花オフィシャルブログは「ののがたり」。ミステリーハンターは今回で8回目。

天正10年(1582年)6月2日に起きた「本能寺の変」。わずかな人数で京都の本能寺にいた織田信長を、家臣の明智光秀が襲った事件です。今回はミステリーハンター・野々すみ花さんが、この事件の真相に迫ります!一体どんな発見が?

反逆者と言われてきた光秀の知られざる素顔!?
本能寺の変には未だ多くの不可解な謎が?

本能寺の変については、これまで信長が主軸になった話を聞いていたので、私も明智光秀は主君・信長に対し謀反を起こした反逆者というイメージがありました。でもそんな明智光秀の生涯の前半は、よく分かっていないんです。また本能寺の変が起きた時、どうして信長はわずかな供回りだけしか連れていなかったのか?戦略家の明智光秀がなぜ三日天下と言われるような無謀な謀反を起こしたのか?その正確な動機なども、実は分かっていないんです。

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特別に見せて頂いた京都の東山の祠にある光秀の木像
事件のイメージとは異なり光秀は人々に慕われ続けていた!?

信長はなぜ本能寺の変で死んだのか
日本史ミステリーを解く大きな手がかりが海外に?

スペインに行って来ました。織田信長が本能寺の変で殺される間際に言い残し、未だ謎の多いこの事件の真相に迫る鍵となる言葉が、ある修道院の古い書物に残されているんです。それは「私は、自ら死を招いたな」という言葉。その書物は当時の日本の政治情勢だけでなく、生活習慣まで詳しく書かれていて、例えば日本でのお金の数え方や、睦月、如月という旧暦の言い方など、日本人にとっては当たり前のことが事細かに記されているんです。外国の人が日本の暮らしについて、本当に見聞きした通りに書いた感じですね。だから「本能寺の変」について書かれた部分も、歴史の資料というより、日本人ではない人が純粋に聞いたままを記していて、より信憑性が増すというか…、とてもリアルな感じがしました!

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なんと明智光秀の子孫の方にインタビュー?

明智光秀の子孫の方で、本能寺の変について長く研究を続けてこられた明智憲三郎さんです。その研究をまとめた本が、今までにない視点で描かれていると注目を集めているんです。お会いする前は、光秀の子孫の方ということで勝手な先入観が少しありました。やはり光秀の肩を持つというか、光秀は正しかったという考えをお持ちなのかと…。でも実際にお話を伺うと、全く違っていました。子孫の明智さんは、本能寺の変について多くの研究者が俗説を史実として扱っていることに驚いて、そこから研究を始められたそうです。それに「明智に限らず戦国時代という凄まじい時代を生きた人々について、事実が明らかになることを願っているだけで、僕の先祖が正しかったことを証明するためではないんです」と仰ったことも強く印象に残っています。

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お話伺った明智光秀の子孫・明智憲三郎さん

本能寺の変の真相を物語る、数々の証拠?

年に一度、明智光秀の血を引く方々によって開かれる会合の様子もご紹介します。またお名前や顔を明かさないお約束で取材させて頂いた方は、これまでテレビ番組に出したことのない明智光秀の兜や、光秀が定めた明智一族の守るべき掟が書かれている「家中法度」を見せて下さいました。それらはこの先、テレビなどのメディアに出したり、博物館に寄贈したりする予定はないそうです。今後もご自身で守られて、その先はお孫さんに託されたいと。ただ今はまだ小さいお孫さんに日本史の漫画を少しずつ読ませて、明智光秀をどう思うかとさりげなく聞いてみるくらいだそうです。でもお孫さんは別の武将がお気に入りだとか!?

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家中法度(一番左)からは反逆者といわれてきた光秀の意外な素顔が…
「戦国武将と聞くと遠い存在に思えますが、でも戦国の世を彼らが生きてきたことが繋がって、繋がって…、今この日本があるんだなと感じることが出来ました!」
(野々さん)

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