JNNドキュメント

JNNドキュメント 毎週(火) 午後11:00〜12:00

地上波では、地域ごとにしか見ることのできない地方局制作のドキュメンタリー番組を毎週お届けします。
TBSの日本全国28局の系列局、JNN(Japan News Network)が誇る日本各地の取材班が、時間をかけて紡いだ秀逸のドキュメンタリーをお送りします。

2021年08月放送

2021年08月31日放送

土の記憶〜還らざる島・伊江島の肖像〜

制作:RBC琉球放送

沖縄北部、東シナ海に臨む伊江島。沖縄旅行の人気スポット、美ら海水族館を訪れた方なら、麦わら帽子の様な島影に、見覚えがあるのではないだろうか。人口4400人あまり、葉タバコや電照菊など農業が盛んな島だ。
のどかさとは打って変わって、時折、米軍機の音が鳴り響く。島の面積のおよそ3分の1を軍用地が占め、海兵隊の訓練が行われているからだ。軍用地はフェンスで仕切られているところもあれば、フェンスがなく農地や県道として利用されている場所もあり、人々の生活と基地が混在している。
沖縄戦では当時、島にいた住民の半数近くが犠牲になり、米軍は占領と同時に飛行場を建設。10年後の1955年には、これを拡張するため、畑を焼き、家を破壊した。米軍自ら「invasion(侵略)」と記したこの土地接収は、住民たちの生活にどのような影響を与えたのか。住民が残した写真や日記、そして証言を基に、土地接収の実態に迫り、沖縄の今をみつめる。

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2021年08月24日放送

父が遺したあの子のメロディー

制作:NBC長崎放送

怒りのムードが満ちないのは、歌のせいかもしれません。毎年8月9日の「長崎原爆の日」、式典で子どもたちがうたう歌のことです。長崎市立山里小学校の「あの子」と城山小学校の「子らのみ魂よ」。原子爆弾の犠牲者に毎年交互に捧げられています。2つの歌の作曲者は、木野普見雄さん(1970年没・享年63)という被爆者です。歌の知名度と反して、木野普見雄さんのことを知る人はほとんどいません。
木野さんの長男・木野隆博さん(70)は、父親から原爆の話を聞いたことが一度もありません。ただ、原爆で妻子3人を亡くしたこと、母親と再婚して自分が生まれたこと、そして原爆の歌を作ったことは周りから聞いて知っていました。
父親の50回忌を機に初めてちゃんと読んだ手記の中には、生々しい被爆体験と家族を奪われた怒り、底知れぬ悲しみが綴られていました。父が亡くした家族は妻31歳、長女5歳、長男3歳。
なぜ父は被爆体験を語らなかったのか、美しいメロディーには、どんな思いが込められているのでしょうか。

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2021年08月17日放送

人類vsプラスチック

制作:RKB毎日放送

深刻な海洋汚染をもたらしているプラスチックごみの問題。世界は今、プラスチックを「使わない」「作らない」方向に舵をきっている。エコ先進国・ドイツでは、素敵な量り売り生活と小さな町の小学校を紹介。福岡では、解決の鍵を探るべく、お笑い芸人・土居祥平が3日間の脱プラ生活に挑戦した。ベトナム“プラスチック村”の驚くべき実態にも迫る。
地球を守れるのは、私たちひとりひとりの行動だ。

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2021年08月10日放送

すっぴんで 〜車いすギャルの900日〜

制作:TUYテレビユー山形

「現代のもののけ姫ことMacoです」
チャンネル登録数8万人、総再生回数約2000万回を数える車いすユーチューバーの渋谷真子さんが発信する決まりフレーズ。
渋谷さんが投稿する動画は、自身の車いす生活や、スポーツ、旅行などに挑戦する、やってみた系など。
山形県鶴岡市にある山間の集落「田麦俣」に生まれ育ち、夏場は茅葺職人、冬場はマタギとして活動していた渋谷真子さんは、2018年の夏に屋根の葺き替え作業に転落し脊髄を損傷。ヘソから下の感覚を失い車いす生活に。歩き方を忘れてしまった足。排泄を感じない身体。リハビリを経て渋谷さんが感じたことは、車いす生活の情報が少ないということ。そんな車いすユーザーに向け情報を発信するため動画投稿をはじめた。
渋谷さんは「障害があること=不幸ではない」という持論があり人前では笑顔を絶やさず、つらい顔を見せない。
自分ができることの可能性を探し、情報を発信し続ける車いすのユーチューバー渋谷真子さんを追いました。

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2021年08月03日放送

おーい、聴こえますか? 被爆75年・ヒロシマから

制作:RCC中国放送

神奈川県横浜市に暮らす原爆小頭症の被爆者、中井新一さん。
爆心地の近距離で胎内被爆したことが原因で、生まれながらに重い知的障害がある。
42歳の時に大学病院で受けた検査で3歳程度の知能と診断された。言葉を交わすことは難しく、簡単な会話しか行えない。学校へは母親が授業にまで付き添ったが、小学1年生の1学期までしか通うことができなかった。20歳になったときに、知り合いの紹介で工場の軽作業の仕事に就いたが、同僚からの厳しいいじめが原因で長続きはしなかった。新一さんの妹・葉子さんは、2度婚約したが、相手に兄の存在を知られるたびに破談となった。いわれなき偏見と差別。ヒロシマを離れ苦しい戦後を生きてきた2人のきょうだいは、「世間の目」に苦しみ続けた。葉子さんは、周囲の人から原爆については触れられたくなかったと語る。

胎内被爆者、寺尾文尚さん。
広島県安芸高田市向原町で社会福祉法人の理事長を務めている。寺尾さんは、被爆者とその家族を苦しめたのは「差別と偏見」だという。「あの日、母親が爆心地の近くにいたら、自分も原爆小頭症の人と同じ境遇にあったかもしれない…」悩み続けた結果、被爆70年の年に原爆小頭症被爆者と家族の会「きのこ会」への支援活動も始めた。そして障害者を支え続けた経験を背景に平和の大切さを訴えている。
被爆者たちがさらに追い打ちをかけられてきた現実を振り返りながら、平和の本質について考える。

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