中3の担任。
進路で悩んでる時に、親身になり1番理解してくれていた先生。
その先生のおかげで高校卒業し、今の仕事に就き、これまで続けてこれたと言っても過言ではありません。
大好きな先生でした。
その先生が、いまや自分の子どもの校長先生です。
進路で悩んでる時に、親身になり1番理解してくれていた先生。
その先生のおかげで高校卒業し、今の仕事に就き、これまで続けてこれたと言っても過言ではありません。
大好きな先生でした。
その先生が、いまや自分の子どもの校長先生です。
吹奏楽部の顧問をしていた先生です。
朝練や昼練があったり、休日も一日中練習で大変忙しい毎日でした。たいして上手でもないのに、パートリーダーにされたりファースト奏者にされたりした時にはかなり歯向かいました。それに、同期が退部する時「やる気がない人間は去ればいい。他のメンバーの士気にかかわる。」と発言をして、ずいぶん咎められました。
色々とお考えがあってのことだったのですが、生意気な子供だったのによく目をかけていただいたと思います。
周りと少し変わっていた自分ですが、「へんてこりんなところは恥ずかしい短所でなく、個性だ。音楽においてその個性は大切なスパイスだよ」ということを教えていただきました。
優しいだけではなく少々厳しい面もありましたが、先生と出会って成長できた部分は大きいと思います。自分の子供もいつかは…と思っていましたが、残念ながら今年の春にご退職なさいました。
自分の道を歩んでいる姿を、直接見てはいただけないと思いますが、先生と過ごした日々を忘れずに、先生の教え子として恥ずかしくない生き方をし続けることが、何よりの恩返しだと思っています。
小学校、5.6年のときにお世話になった担任の先生ですサングラスにジャ―ジ、その頃、寺尾聰さんのルビーの指輪がはやっており、ラジカセで聴いてました熱く優しい先生でした。今は、退職され、毎年、年賀状を送っています。会いたいです(´TωT`)
私は、中学、高校で二人の素敵な先生に出会いました!
迷った時親のように大切に思ってくれた先生には感謝の気持ちでいっぱいです。私が辛くなったときは二人からもらった言葉を胸に頑張ってます✨
私も二人のような先生になれるようにがんばります✨
中2の頃私のクラスはお世辞にもいいクラスとは言えませんでした。
問題ばかり起こして、それが当たり前の毎日で
何をするにも先生達に目をつけられて否定されて
いま思えばそうされても仕方ないことをしてたと思います。
そんなうちのクラスに転機が訪れたのは中3になって担任の先生が変わった時です。
パンチパーマで
色付き眼鏡をかけてて
目付きが少し悪かった
『ヤクザじゃん』それが第一印象でした
でもそんな見た目とは反してとても気さくで
ヤンチャしてた男子達も先生には懐いてた。
すべての問題が解決したわけじゃなかったけど、それでもうちのクラスはいい方に向かっていました。
教室の入り口のドアのガラスなんて何回割れたかわかりません。
最終的には直してもらえなくて
ガムテープで修理してました
卒業間近になっても直してもらえないままのガラスを見て先生は
『うちのクラスらしくていいな』なんて言って笑ってました。
ずっと否定され続けてた私達を先生だけは受け入れてくれてくれた。
卒業式の日スーツを着た先生はますますヤクザに磨きがかかって(笑)
でもそこにはありのままの私達を受け入れてくれた先生の優しい笑顔がありました。
先生には感謝してもしきれません。
本当にありがとうございました。
沢山怒られましたが私の恩師は剣道の先生です
試合に負けたとき
ちゃんと杭は残したか?と聞かれました
残してきた杭が錆び付く前に引っこ抜いて さらに上にさしていくんだ それが人生だ
と言われ ついていこうと思えました
10年以上会っていませんでしたが偶然にも 出張先で先生の死目に会えたのも深いご縁を感じます
最後の最後 ダメな私に説教するために呼んでくれたんだと思います
私が思う恩師と言うか、尊敬する人は同じチューバ担当の先輩2人です。2人の先輩は、性格が全然違うのですがとても仲が良くいつも笑っています。先輩は、私に一生懸命指導下さり優しく、時には厳しくそんな先輩が、大好きでとても尊敬しています。
私が恩師と呼べる人は、小学1.2年生の時の担任の女の先生でした。
私は昔、怖いもの無しっていうなヤンチャで男子と遊んだり特定の友達を作らない自由気ままで、勉強もまぁまぁ出来て、ピアノもできると勝手に天狗になってた調子に乗ってる子供だったんですが、悪い方向に行ってしまって、クラスで班に別れてご飯を食べたりする時にある男の子からテーブルを離してみんなで食べたりしてしまってたんです。今思うと本当に最低でした。そんな事をあの時は軽い気持ちで悪いと思わないでやってたら先生に呼び出されてみっちりと御説教を受けました。「いつか自分に返ってくるよ」と。あの時は、自分が本当に分かってたのかわかりませんが、小学高学年の時に2度目の引っ越し先でイジメに私はあって初めてされる方の気持ちを体感して改めて気づかされました。そして先生の言ったとおりにもなって…でもそこで人間として成長出来たと思います。
私をあそこまで怒ったのはあの先生だけで、その先生には今も感謝しています。
私にとっての恩師は吹奏楽部の先生です。
私も実際吹奏楽部に入っていて、トランペットをしていました。
顧問の先生は時に優しく、時に厳しく音楽を教えてくださいました。
コンクールでは全国大会に行ったことのある先生ですが、私の学校は弱小で、先生が来て一年目では銅賞でした。
そのとき先生が言った言葉が
「県大会に行かせてやれなくて...金賞を取らせてあげられなくて本当にごめんなさい」
涙が止まりませんでした。そこまで私たちのことを考えてくれた先生に初めて出逢いました。
この言葉以外にも先生の言ったことでどれだけ考えされ、どれだけ心に響いたことか...
翌年、先生の指導により県大会で銀賞という結果を出せました。
仰げば尊しのように来年は全国大会目指して日々努力してます!!
高校3年間、生物を担当して下さった先生です。
先生はいつも相談に乗ってくれて、理系コースのお母さん的存在でした。
進学のことで悩んだりしたときにアドバイスくれて、時には厳しいことも言われましたが、今思えば愛のムチだったと思います(笑)
医療系の道を目指してギリギリまで進路が決まらなかったけど、合格したときに1番喜んでくれたのを鮮明に覚えています。
最後まで支えてくれて、努力を認めてくれた先生がいなければ今の私はなかったと思います。