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手作りフリップ

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5月11日放送

インド・パキスタン武力衝突“南アジアの火薬庫”カシミール地方をめぐる核保有国同士の戦いの歴史

■「南アジアの火薬庫」カシミール地方

長年インド・パキスタンの衝突の発火点となってきたカシミールですが、マフラーやセーターなどの素材「カシミア」の語源でもあるんです。 もともとはこのカシミール地方のヤギの産毛から作られる柔らかい織物が「カシミア」と呼ばれていていました。

山々と渓谷が織りなす風光明媚な場所で、ムガール帝国の時代から皇帝の避暑地とされ、イギリスの植民地時代に、湖に浮かぶハウスボートを別荘として発展。

スキーリゾートもあります。4月にテロがあった「パハルガム」は「ミニ・スイス」とも呼ばれています。

そんなカシミール地方ですが、「南アジアの火薬庫」とも呼ばれるほど、インドとパキスタンの衝突が繰り返されてきました。いったいなぜなのでしょうか。

■ヒンドゥー教とイスラム教

19世紀、インドとパキスタンは、ともにイギリスの植民地でしたが、第二次世界大戦後の1947年、イスラム教徒が多い地域がパキスタンとして、ヒンドゥー教徒が多い地域がインドとして分離し、それぞれ独立します。

ただ、このカシミール地方は、藩王国と呼ばれる自治領で、イスラム教徒の住民が多かったものの、領主である藩王がヒンドゥー教徒だったためにインドへの帰属を表明。

これにイスラム教徒の住民やパキスタン側が反発し、インドとの戦争に発展したのです。

このときインド建国の父ガンジーは、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の融和を訴えましたが、ヒンドゥー至上主義者の男に暗殺されています。

■“イメージ払拭”のため・・・観光開発の強化

その後もカシミールをめぐっては2度にわたって全面戦争となり、1972年には、西側をパキスタン、東側をインドが実効支配する形となりました。 インド側でもイスラム教徒の住民に配慮して、特別自治権を保障したうえで統治されてきたのです。

それでもインドからの分離を求めるイスラム系住民が度々、インドの治安部隊と衝突。

ヒンドゥー至上主義を掲げるモディ氏が首相になって以降、2016年と19年には、治安部隊を標的にしたテロも発生しています。

これに対しモディ首相は、憲法を改正してカシミールの特別自治権を剥奪し、直轄統治に踏み切ります。軍を追加派遣して住民数千人を拘束したとされるなど、イスラム教徒の住民らへの監視・統制も強化しました。

一方で、紛争地のイメージを払拭すべく、強硬策と並行して取り組んだのが観光開発の強化。2024年は2360万人の観光客が訪れました。そんな中、4月、観光客らが多数死亡するテロが起き、今回の攻撃の応酬へと発展したのです。

■核兵器使用のリスクを懸念

インド・パキスタンはともに170発を超える核弾頭を保有しているとされます。

4月、パキスタンの国防相は、「通常の紛争では核兵器を使うことは自制すべき」としながらも「我々の生存に関わる直接的な脅威がある場合には選択肢となる」とも発言。

核使用のリスクが高まることも懸念されていました。

■「いずれ誰もが盲目になってしまう」

かつて宗派間の融和を訴えたガンジーの哲学として伝記でなど語り継がれている、こんな表現があります。

「”目には目を”で報復すれば、いずれ誰もが盲目になってしまうだろう」

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