(出水)アメリカでは、どんな日常を送ってらっしゃるのですか
(船水) 本拠地を持たず、ほぼ全てのトーナメントに出場してるので、トーナメントを回ってから中3日で次トーナメントがあります。毎週移動して、大会の地で練習して試合するという事を繰り返してるような感じです。大会に出るプロ選手たちに声をかけて練習マッチングしたりとか、ペアを組むパートナーと早めに入って練習したりっていうふうに。
(出水)この半年間を一文字で表す、一言で表すとしたらどんな言葉が浮かびますか
(船水)いやもう、「苦労」というイメージしかないっすね。 自信満々で行ったんですけども、現地のピックルボールの熱狂具合と、レベルの高さ、選手層の厚さっていうのをすごい痛感して、2ヶ月1回も勝てないみたいな時期が続きました。言葉も堪能ではないゼロから全くわからない状態で渡米したので、もう、コミュニケーション能力も苦労してましたし。何とか腕1本で認めてもらえば仲良くなるだろうと思ったところが、アマチュアの選手にさえ最初通用しなくて、誰も相手にされず。日本人もほとんどいないので友達を作るのが難しくて、全てに苦労した日々だったなと思いました。
(出水)最初の2ヶ月間も苦労が絶えなかったということですけど、何か突破口というか、ご自身の中ではこうやってけばいいんだみたいな転機というのはありましたか?
(船水)正直今でもその手応えみたいなのはないまま、何とかがむしゃらにやってるんすけど、とにかく気持ち、気持ちで逃げずに何事もくらいついたっていうのが、一つ突破できた要因。 あっちはピックルボールドリームという言葉があるぐらい、みんな夢を求めて、若い人らが参入していて、みんな沢山練習している。自分も多ければ10時間以上、1週間続けて練習して倒れた週もあります。練習パートナーもいないのでとりあえず、公園に行って1人でやってそうな選手に声かけて、練習に混ぜてもらって、日本人でこういう選手なんだよってアピールしたりとか。最初1ヶ月、2ヶ月でうまくいかないことが多くて、諦めそうになるところを、なんとかやり続けた。
(出水)船水選手の実力は、言語化するとどれぐらいの差がある?
(船水)最近は何とか食らいついて、プロトーナメントのベスト32とか、30以下を切る成績で帰ってきたのですけども、ラストもう1個2個ぐらいの壁、分厚い壁があるかなっていうところではあります。だけど競技人口1,000万人を超えるこのめちゃめちゃすごい選手層の中で、短期間でここまで来た選手ってのは、どの世界とかを見てもいないので、可能性としては、手応えは若干ある状態で1回戻ってきたって感じです。
(船水)ピックルボール独特の技術、この精度がまだ足りないのかなというところである一方、ソフトテニスのバックグラウンドを活かした独特のボレースキルだったり、瞬発力の速さっていうのは、ピックルの世界トップレベルにも通じました。自分の長所を生かしながら、そのピックルボール独特な繊細なタッチを磨いていく必要があると思っています。
(船水)ある日、僕が目指してるメジャーリーグのチャンピオンの選手から呼ばれて、ちょっと練習してくれって言われて。それで、ボレーレッスンを開いて一緒にやったっていうことがあります。この独特なボレー技術と、尚且つツアーに出続けている日本人が他にいなかったので、いろんな人に注目してもらって、気にかけてもらってんのかなって。
(出水)そのトップ選手から教えてくれと、声をかけられたときどう思いました?
(船水)いやびっくりです。本当にトップ選手で、自分はそこの入口にすら立ってない状況だったので、当時ほぼ話しかけられること自体がありえないですし、インスタグラムフォローが来ること自体、どういうこと?っていう状況で、僕はもうドキドキ、めちゃめちゃ緊張しながら練習した記憶があります。そしたら噂が噂を呼んで、あいつ面白いぞ!みたいになって、いろんなトップ選手が「YUTA!」と話しかけてくれて、実力も伴ってないのに、こうして名前を覚えてくれっていったのはすごい嬉しいことだと思います。
(出水)それって何月ぐらいの出来事だったんですか
(船水)プロトーナメントに出て、4ヶ月ぐらい。出始めた時から、なんか1人だけ打ち方変だな、しかもなんかめっちゃ弱いのに、こいつ毎回トーナメント出てるぞみたいな…と。顔を覚えてもらったとこと、何か変な独特なスキルがあるぞっていうところで注目を浴びて声かけてもらったっていう奇跡が起きました。
(出水)ソフトテニス仕込みのプレースタイルは、アメリカでは見たことない方が多いと思うんですけど、そのプレーに対するリアクションは感じたりしますか。
(船水)そうですね、もう「クレイジー!」、「なんだこれ!」みたいな。初見の人は、「何これ!」みたいな感じで100%リアクションされますね。「何それ、どういうこと!?」みたいな反応でした。ポイント決めたら、ポイント間に「サムライ!」みたいなことをめっちゃ言われたりしますし(笑)
見たことのない打ち方で、なんでその速さで打てるの?て思う人がほとんどだったと思います。
最初の2ヶ月間は勝てなくて、<勝てない=基本もできてない奴だ>というイメージだったので、本当にただ馬鹿にされている感じでした。コーチやいろんな人から、もうそのスタイルを諦めろという風に言われて、1週間ほど、よく見るベーシックなグリップに持ち替えてシフトチェンジにトライした時期もありました。
でも、これでは挑戦した意味がないと思い、コーチらに、僕はこれ(ソフトテニスのスタイル)で勝負するんだって話をして、努力を重ねて結果が出てくるようになってからは面白くて・・・それがダメだって言ってた人も「やっぱりそれがいいんだ」みたいな。そんな毎日でした(笑)その人たちのせいで最初メンタルやられてたのに(笑)自分しか信じれないんだなって、痛感しました。大事な経験でした。
(出水)元々プロのソフトテニス選手として活躍され、世界一にもなり、競技の価値も高めてこられましたが、ピックルボールでも同じようにやっていこうと?
(船水)最初、LAにトライアルで3週間ほど行ったんですけど、まずテニスコートがなくて、これ全部ピックルボールのコート?しかも専用?って感じでした。そして全部コートが埋まっていて、熱狂を感じて。アメリカでは「本物」のスポーツなんだと感じ、いろんな人がチャレンジしているという規模感も見ました。ソフトテニスで一度世界チャンピオンになって、また新たに何かもっと広い世界で挑戦してみたいとなった時に、このスポーツは僕にとって挑戦しがいのあるものだと感じて、チャレンジする決断をしました。
挑戦の過程で馬鹿にされて、上手くいかない日々もあったので、それを見返そうということが今のエネルギーになっていると思う。ボレースキルは、世界のトップにも通用することがわかったので、その強みと自信をもって磨きながら、自分に足りないピックルボール独特のディンク技術や、ディフェンス技術を磨いていくことが必要だなと感じてます。一方で、ダブルスが主流なので、仲間作りというものが非常に重要で、引き続き語学の勉強もしつつ、いいパートナーに巡り合うことも練習と同じくらい大事。練習と仲間作り、この二つを追い求めて行く必要があると思っています。
(出水)ディンク※の技術ってどういうものですか? ※相手のネットのすぐ内側に緩いボールを落とすショット
(船水)レベルがまだまだ低い選手は、ミスしないように、ただ回数を拾うだけのショット。実際、僕もそうなんですけど。向こうではミスしないことは絶対で、コースとかスピン量とか、長短をつけたり、ちょっとした細かいところで、チェスのように戦略を考える。強い選手は、ノート何冊分も対戦相手の情報があって、こういう相手にはこの配球で、この球種、この長さなど。今の僕じゃ考えられない。ここを操作するの?みたいな感じです。思い通りにゲームできるようになるためには、返球するだけじゃなくて、コース、スピード、球種を精度高くやっていく必要があります。アメリカには戦術が沢山あります。
(出水)戦術の定石ってあるんですか?
(船水)はい、トッププレーヤーは言語化していますし、アマチュアでも普段からテレビなどでピックルボールを目にしていて、こうきたらこう動くんだよね・・・といった基本が頭の中にあるので、最初、僕は定石の意味がわからず苦労しました。試合や練習パターンを増やして、やっとレパートリーが増えてきました。
(出水)定石を学ぶには同じペアでやり続ける方が良いのか、色々な方と組むのが良いのか?
(船水)固定のペアを組んでいるのはトップの一握りだけで、うまくいかない方が多いです。3試合上手くいかないとすぐ交代みたいなことが、悪気なく普通。ドライに「ありがとう、また機会があれば」みたいな感じで終わる。ペアが決まってない人は、とりあえずいろんなパートナーとマッチングして、いい人がいればそこで、というような流れ。
(出水)ペアはいつ決めるのですか?
(船水)僕はひとりで行ったので、ひどいときは前の日の夜に急に決まったりしますね。とりあえず、大会のエントリーをしておいて、会場に行くんですよ。そうすると夜に「組まないか?」と連絡があって、行ってみたらその相手がまだ16歳だったりとか。良いプレー動画を送ってきて、見たら凄く上手かったけど、試合したら全然強くなくて・・・とか、ハプニングばかり。
日本でソフトテニスの試合の時には、通訳もいたし、海外では協会の人に全て守ってもらってて。今は一人で予約とって、レンタカー借りて、全部やるのでハプニングは付き物。耐性はついたのかなと。
(出水)試合に出るまでに大変なストーリーがあるんですね
(船水)そうですね、ドタキャンというか、お前じゃパートナー駄目だ、やっぱり辞めようみたいなことを言われたりもしますし。1試合エントリーするだけでも180ドルとかコストがかかるので、彼らも生活がかかっているので、下手な人と組んで、しかもわけのわからない日本人選手となると、相手はリスクでしかないので沢山断られ続けている。
(出水)侍の名をあげるしかないですね
(船水)日本人の独特なスキル、持ち前のスキルを認めてもらって、最終的には世界チャンピオンだったり、最高峰のメジャーリーグ選手になるドラフトされるというところを目標にして頑張っていきたいと思ってます。
(出水)私も海外に住んだ経験があるんですけど、何がつらいって食事がやっぱり大変で、和食を求めたりする部分もあるじゃないですか。
(船水)レストランでも食事が口に合わなかったり、上手に商品を頼めなかった時は、本当に次の日のエネルギーに支障が出ますね。日本食の「照り焼き」と書いてるけど全然おいしくない、意外と油っぽかったりして食べられない。ですので常にリュックにバナナをめっちゃ入れて、最低でも、大事なこの糖質、エネルギーだけは取れるように、最低限の補食を入れながら・・・食は苦労してます。レストランも行ってみておいしくなかったら・・・もう食事しか楽しみないのに外れたわ~みたいな(笑)
(船水)あとは夜でも食べとかないと。夜9時ぐらいにメジャーリーグ選手から練習しようって連絡がきて、一度エネルギーが枯渇した状態で練習に行ったけど、全然アピールにならなかったことがあった。寝る間際まで動けるように、この身体にエナジーを入れておかないとならないです。本当に、都合良いように練習の誘いが来るんですよね。でも僕にとってはそれはチャンスなので、チャンスを拾えるように。寝る前はね、バナナとかみかん食べて待機してる。本当に連絡が来るんです!もうないなと思った時間から連絡が来るので、はい、待機エネルギーを入れてるっていう状況です。
(出水)きっと侍さんに連絡したら来てくれるっていうもう信頼感もあってですよね。
(船水)よく言われるのは、練習相手なのにすごい頑張ってくれるって。上手い人は、多分適当に練習相手をやったりするんでしょうけど、トップ選手が「ちゃんと一生懸命ボール追いかけてやってくれるから良い」みたいなことを言ってくれて、そういう日本人的気質がもしかして彼らからしたら、嬉しいのかなと思いつつ、やっぱそういう人に勝たなきゃいけないので、いつかは・・・と思いながら練習に付き合ってますけど。
(出水)そうやって技術を盗んでいるんですね
(船水)メジャーリーグの選手は、既に数年プロの試合にでている人が多い。プロトーナメントのポイントも最初から持ってるので、自分が今から挑戦するってことは、そこに追いつかなければいけないんです。プロでも全部のトーナメントに出場し続ける選手はいないんですけど、自分は追いつくために、めっちゃタフで大変ですけど、全大会に出て「時間の差」を回収しようとしてます。
(出水)追い越し車線を爆走してる感じですね
(船水)最初は大会の初戦で負けたあとも、残り4日間、毎日コートを歩いて仲間作りをしてたりしたんです。それが今ちょっとずつ予選を抜けて、20位、30位内に入って成績も良くなってくると、みんな顔を覚えてくれてたので、点と点が繋がって、あんときのあの日本人だ、となってきて、今それが上手くはまってきて登り調子です。数ヶ月、何もないのにただコート周辺を何往復もして、ラケットだけ持って空いたらちょっと練習しませんかって言ってる日々がやっとかみ合ってきたかな。
(出水)予選から出場するとのことですが、どのようなスケジュールなのですか
(船水)予選リーグは、本当にいかにもアメリカらしいというところがあって、本来であれば1週間の大会日程中に、ダブルスの日、シングルスの日って分かれているんですけど、本選の資格がない選手は1日に全部の種目を詰め込まれるんですよ。1試合は1時間から1時間半かかるんですが、最大各4試合ずつで、1日9試合しなきゃいけなくて。朝8時に試合を始めて夜8時までとか。僕も本戦出場がギリギリの選手なんで、予選は全部最終戦まで行くんですよ。だからもう、最後は全身痙攣してとか・・・。なのに試合が終わって、その10分後に「次の試合入って」と連絡がくるんですよ、入らないなら失格みたいな。栄養補給をする場もないという状況でなんですけど・・・。 予選を抜けると面白くて、<プロプレイヤー>みたいなカードを渡されて、エアコンの効いたシェフ付きの部屋で、サラダ、パスタ、バナナも全部取り放題みたいな部屋が用意されるんです。予選から出場の選手は日向で1日中ずっと日陰を探して、自分で椅子を持って行くのに、最初からメインドローの資格ある人は、パスタがあって、涼しいところでウォーミングアップしてという待遇で、いかにも這い上がって来いよ的なのがあって(笑)面白いなっていうか、激しいなと思います。
(出水)こういうレイヤーがあったのかと・・・
(船水)部屋の前に警備員がいて、入れてくんないっすよ(笑)。同じプロ顔して行っても、IDは?て言われて、名前を言っても、リストには無いって言われて。自分で日陰を探してても、外はもう40度じゃないすか、どこも涼しい場所がないんですよ。それは全身痙攣しますよね。勝てなかったらまた蹴落とされて這い上がって行くシステムなんで。
(出水)わかりやすく人参ぶら下げられてますね
(船水)これは本当にすごいなと思います。アメリカらしい、実力社会を本当に痛感しました。
壁一枚先で、そこにいるんですよ。涼しくバナナ食べてる人がいて・・・絶対勝ってやろうと思いますよね。そういうのはやっぱエネルギーに変えられるタフさが、性格上あるので良かったかなとは思いますけど。でも早くこの現状を脱出しなければ、夜8時まで試合して、全身つってまた朝8時からベスト16を懸けた試合がある。体力的にも不利なんで上位に行くっていってもかなりチャンスは限られてくる。まずはトーナメントポイントを稼いで予選パスの免除を手にすれば、本選でも勝つ確率が上がってくるかなと思います。
試合数も多いので、バナナ食べる時間もないわけですから、最後は栄養も身体に入ってきてないので、もうどうなってるかわかんないゾンビみたいな大変なことになってます(笑)元々トップアスリートをやってますので、身体は強い方ですが、1日最低でも4時間、時には10時間練習するトレーニング量はしてなかったし・・・試合前の日にもトップ選手から練習の誘いが来たりするのでずっと待機中みたいな感じでやってきましたので、さすがに身体は悲鳴をあげながらも、何とか食らいついて半年やってきました。
(出水)ところで、アメリカの人気スポーツというと、アメリカンフットボールやホッケー、野球、バスケットボールのイメージがありますが、向こうで暮らしていてピックルボールの人気を感じますか?
(船水)急激に成長してるイメージがあります。急激に成長しつつも、しっかりアメリカで認められてるんだなっていうのは、生活のいたるところに感じてて。スポーツショップに行っても野球、バスケットボールと同じぐらいの区画があったりとか。テレビ番組の中でも普通に、バスケットボールと同じようにピックルボールが出てくる。ピックルボールがしっかり確立されていて、センターコートの中継とか、配信もされている。
ピックルボールはラリー型のスポーツですが、実はテニスとか「ラリー」を続けることは競技的に難しいと思う。ラリーが続く楽しさがわかる前に競技をやめてしまうことも、絶対あると思ってます。ピックルボールはファーストサーブをオーバーハンドで打てなかったり、一球返してから前(ネット)に出れるようになるルールで、必ずラリーが2、3本続く仕組になっていて、うまくできてる。その点では、ラリーの楽しさがわかるっていうことが魅力の一つで、大きいのかなと思います。また相手選手との距離も近いので、話しながらできたりするのです。交流というか、気分も楽しい状態でプレーできるというのも魅力じゃないのかなと思います。
(出水)距離が近いから会話しながらっていうのはちょっと新しい視点でした。一戦交えたら少し仲間になれるという感覚がある?
(船水)めちゃめちゃ仲良くなりますね。やっぱりピックルを通じて広がっていく人脈みたいなのは、みんなすごいあって広がっていってると思います。
(出水)パブリックのコートで出会った人と友達になった人もいますか。
(船水)ありますよ、インスタグラムをフォローされたり。「お前のプレースタイルを変えた方がいい」とアドバイスしてくれる個性強い人もいれば、「俺もプロでやれるわ」みたいなこという人もいて、実はその人がお金持ちでプライベートコートを持っている人だったという出会いもあったりするので。
(出水)出会って「雄太うちに来てプレーしなよ」って言ってくれる?
(船水)そうですね!それが、めちゃくちゃ有名な映画プロデューサーだったりとかします。
今、お金持ちの家にピックルボールコートを作るのがトレンドになっていて、LAに行った時もビバリーヒルズにはピックルボールコートだらけでした。今、パブリックの練習場とか、クラブ施設が選手たちでごったがえしていてコートの予約が取れないので、強い選手は、そういったお金持ちの方の家にコートを貸してもらいに行き、そこでスポンサーとの出会いも生まれるっていうことを、見たり、聞いたりしているのでチャンスだなと。
(出水)面白いです!アメリカのお金持ちの家というと大きなプールがあったりバスケットボールのコートがあったりというイメージでしたけど、今はそれがピックルボールのコートに・・・
(船水)どこに行ってもあります、そしてお世話になる人がみんな潤沢な資金のある人たちみたいな。すごいです。本当綺麗な景色のいい所にあったり、それぞれすごい凝ったデザインをしていて、映えるコートを置いてたりしてますね。アリゾナでは、砂漠地の中で、緑に囲まれた中に入っていくとポツンとピックルボールが作られていたりとか。こだわっているなと。お金をかけているイメージがあります。
(出水)日常に根付いてますね。トーナメントに参加していて会場での盛り上がりはどんな風に感じてますか?
(船水)週末に準決勝、決勝がありますが、チケット取れないです。普段、出場している選手は優先して観戦できるはずですけど、パスがそもそも買えなかったりするので。席が埋まることもそもそも凄いと思いますけど、飲食店とかお酒飲みながらという場所もあって、本当にみんなワイワイ盛り上がってるなっていう印象。おじさんとかおじいさんとか歳上の方々も、旅に行く大義名分というか、ピックルボールもしながら旅をするっていう事もあります。プロの競技者だけじゃなくて、いろんな楽しみ方があってトーナメントに参加してるんだなと思いますね。
(出水)メジャーリーグピックルボール(MLP)についてお聞きしたいですけど
(船水)24チームあって、男女2名ずつのチームが総当たりの団体戦をします。各トーナメントのトップ選手が選ばれているのでそこで優勝すると、イコール、ワールドチャンピオンに近いというような位置づけです。向こうでは、みんなの夢として、夢のある大会として、MLPがあるような状況です。
(出水)ドラフトされるには何をすればいいのですか
(船水)そうですね、まずはトーナメントポイントを取ったり、実績を上げていくと、必然的にリストを見た際にランキングが上位に上がってくるので、まずトップ30と50以下に入り続ける成績を毎回ポイントで稼ぎ続けていくっていうことが最低限必要なのが一つ。あとメジャーリーガーは、ペアってよりかは、個人として見られるのでやっぱり勝ち負けだけじゃなくて、さっき言った自分の独特なスキルをかなり驚異的なものにして価値を高めていけばプラスアルファで加点材料になるっていうところはあるので。自分の個人アピールとトーナメントのポイントを積み重ねていくっていうことが非常に大事になってくるかなと思います。
(出水)トーナメントでメジャーリーガーたちとマッチアップしたこともありますか
(船水)はい、あります。全く勝てないわけじゃなくて、もうスコア的には本当に僅差ですね、11対…いくつ・・・2点差とかで負けてるので、全然遠くないのかなって思います。やっぱり予選をいくつか抜けたので、今マッチアップできたからこそ見えた景色なのかなと思います。
(船水)賞金自体は詳しくはまだ正確な数字はわかんないですけども、トップの選手はもう10億円超えてるっていうふうに言われてますし。トップテンとかトップ100とかの選手もやっぱり1億円とかは普通に稼いでいる選手は多いので、夢のある競技なのかなと思います。パドルの会社も何百社と増えている状況です。投資してる企業もその分多いので。それぞれ選手たちも、ちょっと勝ったと思ったら次の大会には契約違うパドルを使ってたりして、この選手には何かスポンサーが動いたのかな?ていうのを感じたりとか。つくづくアメリカらしいビジネスというか、スポーツビジネスになってるなっていう感じはしますね。
(出水)今までって賞金は得られたことありますか、
(船水)ないんですよね。あと1回勝てば・・・が多くて。予選を抜けた時点でベスト32とか、もう狭き門なんです。あともう1回勝つと、ベスト16に入り賞金をもらえるようになるので、まずはプロと言えるように自分で手にしてみたいです、賞金を!
(出水)あと1勝と言うことですね!手にしたら、これやりたいとかこれ買いたいとかっていうのは何かあったりするんですか。
(船水)いや、でも、かなり苦労してここまでやって来た自負があるので、最初の賞金は、何かずっと手元に持っておきたいっすね、教訓として。だってめちゃくちゃ価値が高いですから!うまく伝えられないんすけど本当にいろんな事があって何とかここまで来てるんで・・・その最初に手にしたお金は使わずに多分飾ってるでしょうね。僕の中で、それぐらい価値が高い。泣けるぐらいの感じだと思います。なかなか日本では伝わりづらい大変さはあると思うんですけど、それぐらい価値は高いと思ってます。本当に向こうでは苦労し何とか食らいついてるって言葉が一番しっくりくると思います。
(出水)このあと半年、アメリカで素晴らしいプレーで1勝して、賞金を手にして頂いて、来年には力強い言葉を!
(船水)もっと前向きな夢のある言葉で・・・ですね。
■船水 雄太(ふねみず ゆうた)
1993年10月17日生まれ、青森県出身。5歳からソフトテニスを始め、東北高校3年時にインターハイ団体&個人優勝。
2015年には大学4年生で世界選手権代表入りを果たし、国別対抗戦で世界一となった。
2020年からはプロソフトテニス選手として活躍している。今年1月、ピックルボールの本場アメリカでプロリーグ参戦を目指すことを表明。
1月末に単身渡米し、ピックルボール選手としてのキャリアをスタートさせている。