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第五四二回('15年3月29日 放送)
 「戦後70年に」
 ゲスト: 野中広務 氏 / 古賀誠 氏

御厨

「急ピッチで進んだ集団的自衛権を容認した法律の準備だった訳ですが、今回の合意について、野中さんどう見ておられるでしょう」

野中

「自民党の高村副総裁と、公明党の北側福代表が二人で話し合ってね、ようやくそれが合意できたからと言って、そういう自衛隊を海外に出して活動する範囲を広げたらね、必ず戦死者が出るんですよ。戦争なんです。戦争をやったら必ず犠牲者が出るし、自衛隊の中に亡くなる人が沢山出るんですよ。その事を考えたらね、こういう二人だけで決めたことがすぐ法制化するというような、そういうね、民主政治の基本をわきまえられていない。与党の議員も、今しっかりしてくれてね、こういう暴挙に対して与党としての責任をしっかり果たしてくれるような、そういう立場でやってくれなかったら、70年というのは何のためにあったんだと。また、その70年前の犠牲というのはどのようなもんであったかという事が十分に理解されないままに、戦争へ戦争へと日本が進んでいくというのは、私のように戦争を僅かでも知っている人間がこうして生きておるのは、本当に今のような日本を見たくないという気持ちで、しかも亡くなった人に申し訳がない。どうして私はこの世に生き残って、これを止めることも出来なかったのかと思って、恥ずかしい思いがしてます」

御厨

「古賀さんいかがでしょう」

古賀

「そうですね、戦後70年。私の父親も靖国の杜に御祭神になってますが。もう本当に自分達の死が戦後70年だけで、あとは無駄死になってしまうのかというね、本当に言いようのない怒りを覚えているんじゃないかなと。今もお話がありましたようにね、集団的自衛権の議論というのからね、大きく踏み越してますよね。この法制化の中身を見てみますとですね、極めて色んな近隣諸国、それからアメリカの力の劣化だとか、色んな事を言いながら集団的自衛権というのを議論してきました。しかも限定的ということで議論してきましたが、どんどん話は別のところにいってしまって、安倍総理の「切れ目のない安全保障」と。まあ、耳ざわりの良いフレーズでですね、武器の防護にいたしましても対象国のアメリカからトントン拡大されている。周辺事態の地理的概念も外されて、地球の裏まで行っても良いと、こういう事になってしまっている。とんでもない法制化が進められようとしてますね。自民党の先生方、何か言ってくれよと。なんで黙ってるんだと。ハト派じゃなくて、良質な保守派の人達いっぱいいるはずなんだから、ここで声を出さなければ日本の平和っていうのはどうなっていくんだと。あれだけの多くの犠牲を出した、300万人、大東亜戦争。あの反省はどこにいったんだと。まだ70年ですよ、戦後。そういう中で、誠に政権与党の先生方にもですね、しっかり考えてもらって。考えるだけじゃなくて発言してもらいたい、発信してもらいたい。それが大きな責任ではないでしょうかね」

御厨

「なるほど。今も出ましたけれども、集団的自衛権の容認に焦点が当たっていた訳ですけども、こうして今お話をしてきても分かりますように、周辺だけではない他国軍への後方支援であるとか、あるいはアメリカ中心の有志連合の治安維持活動であるとか、そして他国軍の防護などと非常に幅広くなってしまった。これ、どうしてこんなに幅広くなってしまったんでしょう、野中さん」

野中

「まあね、どのような国にしようとしてくれてるのか私は分からないんですよ。本当に70年というのは何だったんだと。もう悔しくて悔しくてね、夜も寝られないほど悔しいんですよ。私自身が戦争で死なないで生き残ったというのは、今もう亡くなった人に申し訳ない。何のために私は戦後70年を生きてきたんだと思うとね、今の状態というのは大変大きな過ちを起こそうとしてます。今古賀先生が言われたようにね、現職の政治家達が、第一に戦争の経験を知らないんです。したがって、戦争というのがどんなものであったかっていう事をね、まず歴史に注目して冷静に歴史を検証してくれなかったら、これからの日本というのは、本当に恐ろしい戦争の反省も何もない国になり下がっていくという心配を今しておるんです」

御厨

「古賀さんいかがでしょう」

古賀

「今の政府に、戦後70年、これからの50年100年、日本の国はどういう国になっていくんだ、どういう国を目指すべきだ。というものがないんですね。ないんです。だからどんどん法整備の議論になると、ああいうふうに拡大をされていってしまう。極めて私は危険な時を迎えていると思いますね。私事で恐縮ですが、野中先生に引っ張ってもらって、父が亡くなったフィリピンのレイテ、ちょうど25年くらい前、還暦60の時に行きました。そこで死んでいった父親もそうですけど、戦友が、何か言いたかっただろうと。それはやっぱり政治の貧困を叫んでいたと思いますね。今まさにそれが始まろうとしている」