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 第八十六回 ('06年1月22日放送)
  「小泉『指南役』の打ち明け話」

  ゲスト: 松野頼三 氏 / 塩川正十郎 氏

国会がスタートしたと思ったら、ホリエモンのライブドアの関連会社に、強制捜査が入り、そしてそれを受けて、東京証券取引所が、一時売買を全面停止するという大騒ぎ。一方の、マンション偽装問題の証人喚問では、政治家の名前も続々と出てきて…。順風できた人気の小泉政治ですが、ここにきて、何やら雲行きが変わってきたのか…。そこで、小泉総理の指南役の松野さんと塩川さんに、今、小泉総理に何が起きているのか、そして、総理は何を考えているのか、お伺いすることにしました。



― 堀江氏を応援した自民党の責任は…
塩川

「やっぱり自民党は候補選びでいい加減だな、と。そういう信頼感を失いますね。候補者選びにですね。それが一つと、あまり付和雷同しているという姿勢に対して、やっぱり厳しい批判が起こってくるんじゃないでしょうかね。まあこれはちょっとまずかったな、という感じですね。それは経団連の奥田さんもちょっとミスったなと。だから、やっぱり騙されたっていう事はありますね。それは余りにも急テンポに世の中変わってきているから。世の中の変革にあわせた判断をしたことがですね、誤ったんであって、何もですね、先行した人に先見の明がなかったとか、そんなあれじゃないんですね。ちょうど世間の波がそんなことで、あふれていましたね。一種のバブルがおこっとったんじゃないんですか」

松野

「ただ、変革の時はこういう事あるんだよ。戦後ごらんなさい。戦後とんでもない闇屋さんが当選しています。変革の時はそういう社会がわからない。今まさにその変革の時期だから。旧と新の間だから。その良いか悪いかの判断は、変革の時は仕方がない」

― 小泉総理は…
松野

「やっぱりかわいい、その、後輩だって感じ。慶応ものって、一つの基準は通ってますからね。学問が出来るか出来ないかや無しに、人格と教養はある。ある程度のあれは持っていると。もちろんみんなね。だから、つい付き合いやすい。早稲田、明治の人よりも付き合いやすいわけで、最初は。一応の教育は受けているな、と思うから。その親しさからずっと付き合っているだけで…『公』は知りません、私は『私』の方だけ」

― 所信表明演説は…
松野

「小泉総理らしい、どっちかというと肩の凝らないような…口語体だな。だから官から民へ、と言う様に、役人が作った演説の話、自分が口語体にしてやっているな、と。だけど最後の4年9ヶ月なんていうの入っているのをみるとね、いかにも自分の気持ち表したんだ。私は、小泉総理と古い付き合いだけれども、閣僚として、公務は塩爺の方が一緒にいたんだけど、私は『私』の方なんだ。『公』はこっちで、私は『私』の方が親しいんであって、『公』はこっちしかしらないんだ。だから『私』の方だけ、私はそう思って、『私』としてはお父さんの純也さんと一緒に長年、派閥も一緒だったしね。かって藤山派なんてのがあったときに…」

塩川

「演説の中でズバリ言いましたね。僕はもう、ビックリしたんですがね。今度の演説聞いとってね、網羅的で、松野先生おっしゃるようにですね、口語体で言ったから非常に優しく言っていますね。役人の文章でない事は事実よ。決意表明ですよ。改革やりますって。その真髄はなにやって。改革推進法案、出しました。一番最初に、冒頭にポっと言いましたね。あれやっぱり一番気にしていることだと。あれがこの国会の重点だな、とこう感じましたね」

― 小泉総理は後継者を安倍氏にしたいのでは…
塩川

「いや、そうじゃのうてね、安倍っていうのをテストしてみようというとこじゃないですか」

岩見

「テスト。まだ、この人こそと思っているわけではない」

塩川

「まだ小泉総理自身は決めていないと思いますね」

岩見

「松野さん、どうでしょうか」

松野

「ほとんど決めていない。それは、自分の改革を推進してくれるものに是非、後をやってもらいたいという事が原則で、その中に、個々に今言うように、私らの批評が個人だから。人間だから。ねえ、指紋が違うように、おんなじ人間はいないんです。ね、だから自分の後に、後継者選ぶかたって、そんなに指紋通りはいかない。方向は守ってもらいたい。これは当然でしょうね」

― 後継総裁選びのキーマンは…
松野

「私はね、仕切り屋があっちゃいかんと思う。ことに、小泉総理の場合はやっちゃいかん。次はね、必ず、政界というのは冷たいものになる。もうね、暖かいのは今日までで、辞めるという日が冷たい。追うんだよ。ついてきた者が追うんだから。それが政界の常。それは、佐藤さんの時…、佐藤栄作と田中、福田の時に佐藤栄作が福田にまとめると、佐藤派だけを俺がまとめると言ったが、もう近づいたらまとまらなかった」




 
   
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