新しい年に向けて 〜終わりし道の標に 【2013年1〜2月号】
●渡部恒三、43年分の思い
どんな顔をしているのだろうと思いながら議員会館の部屋を訪ねた。年末の突然の衆議院解散に、民主党最高顧問の渡部恒三氏は出馬をしない意向を表明していたのだ。解散を受けて、長い政治経験を踏まえた「遺言」たる本当のことを番組で語ってもらいたいと思い、打ち合わせに来たのだ。
部屋のドアを開けると「いやあ、よく来たあ」と満面の笑みで迎えてくれた。ただ、その後は「この部屋も明日、引越しだあ」と言うと、部屋の中を見回し押し黙った。なるほど部屋はすでにかなり荷物が運び出されていて、机の上も、いつも雑然と積まれていた紙やら新聞の山もなくなり、地元名物の「起き上がりこぼし」が20個ほど袋に入っているだけだった。前原誠司代表時代に、「偽メール事件」が起き、党の立て直しのために国会対策委員長を引き受け、最初の会議で倒して、人形が自力で立ち上がるのを見せたものだ。なぜか、前原氏がやると叶わず「前原君のは立ち上がらないなあ」などと渡部氏がユーモラスに語る姿は当時、テレビ番組で多用されたものだ。
現役時代、ことあるごとに、落ち込む人に渡して励ましてきたのだろう。タバコに火をつけた渡部氏は「43年やってたんだからなあ」とつぶやくと目を閉じた。南向きの会館の部屋には窓からさしこむ昼下がりの光の中で、紫がかったタバコの煙がゆらゆらと天井にのぼっていった。番組では、初当選の思い出から語った。
●「公認証書を破って…」渡部恒三氏(12年12月2日放送、以下同)
そして、司会の御厨貴氏が議員生活の中で一番うれしかったことに水を向けると、当時の田中角栄通産大臣に陳情に行ったときのことを語った。
●「赤い線を引いて…」
これを受けて、一緒に出演した同じく引退を表明している森善朗元総理が、「磐越道路というやつでしょ。あれは、東北の高校生たちが甲子園の野球なんかあるときに、応援団がいつも東京で渋滞、名古屋で渋滞、甲子園に着いたとき試合が終わってるということがよくあったんですね。あれができて、東京へ行かず、磐越で新潟へ出て、富山、金沢で甲子園へ入ると試合に間に合うというのでね、えらく東北の高校生たちが喜んだんだ」と言うと、渡部氏は「そうそう、よく知ってるなあ」と子供のように相好を崩した。しかし、今の政治の話になると厳しい表情に一変した。
●「後継者ができない」
そして、渡部氏は、日本が「右傾化」していくのではないかと表情を曇らせた。

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僕はね、田中幹事長からその公認証書を渡されたとき、僕も若かったな、破いたわ。『幹事長ね、選挙の前これをいただいたら感謝感激だった。もう選挙は終わりました。こんなものは紙っぺらです』と言ってばっと破ったです。また田中さんというのがすごいのはね、そこで普通ならこう(×)だ。ところが、『渡部、親心をわからない。おまえは民社党と公明党の票で当選しているんだ』。そのとおりなの。『おまえを公認していれば自民党の公認は5人になっちゃって、おまえは落ちてるんだ。当選させたいために公認しなかった、この親心をわからないか』と、半分本当の話をされて弟子にされちゃって(笑)