グエルチーノ (本名ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ) はボローニャ近郊の小都市チェントに 生まれ、ローマに一年半ほど滞在したほかは、生涯をチェントとボローニャで過ごしました。17世紀の ボローニャはイタリア美術の中心地のひとつであり、「ボローニャ派」 と呼ばれる画家たちが活動しました。グエルチーノはその代表的な存在です。
彼はボローニャのカラッチ一族やフェッラーラの美術を参考に、ほぼ独学で絵画を学びました。初期の作品はドラマチックな明暗と色彩、それに力強い自然主義を見せますが、ローマ滞在 (1621‐23年) を境に、落ち着きのある構図と、理想的で明快な形態を持つようになっていきます。
彼はチェントとボローニャを主な拠点として、多くの君主や有力貴族の注文にこたえました。またローマ滞在中は、教皇や枢機卿に依頼されてサン・ピエトロ寺院をはじめとする重要な建物のために作品を描きました。その名声はヨーロッパ中に届き、辞退したために実現しなかったものの、イギリス国王チャールズ1世およびフランス国王ルイ13世らからは、その宮廷に招聘されています。1629年にはイタリアを旅行中だったスペインの宮廷画家ベラスケスが、わざわざチェントにグエルチーノを訪問しました。
グエルチーノは歿後もイタリア美術を代表する画家として名声を保ち続けました。ゲーテは彼の作品を見るためにわざわざチェントを訪れ、その折の感動を 『イタリア紀行』 に詳細に記していますし、スタンダールもグエルチーノを高く評価する記述を多く残しています。
16世紀後半のイタリアでは、ミケランジェロらルネサンスの大芸術家の表現を踏襲した人工的かつ衒学的な作品が美術を席巻し、自然な表現が失われていました。ちょうど同じ頃、対抗宗教改革の高まりとともに、宗教画の表現に分かりやすさや写実性、感情を掻き立てる力が求められるようになります。
時代を先駆けたのはボローニャのカラッチ一族でした。彼らは自然観察を徹底し、光や色彩の効果と融合することで、新たな絵画の表現を生み出したのです。そして世紀末にはローマで大きな転換が起きます。ボローニャからやってきたアンニーバレ・カラッチは自然観察と古典的造形を結びつけ、北イタリア出身のカラヴァッジョは徹底した写実とドラマチックな構図を追求します。こうして、分かりやすく感情に直に訴える、新たな美術表現の方向性が決定づけられました。彼らによって幕が開けられた新たな美術の様式をバロックと呼びます。
バロックは本来、不規則で動的な性格を持つ美術を指す言葉です。大きな流れとしては合っているのですが、実際にはルネサンスの画家ラファエロらの表現に倣った古典主義的な傾向も流行し、多様な個性を持つ画家たちが活動しました。グエルチーノも流行を敏感に感じ取り、自らの画風を変化させています。イタリアではやがて活力に富んだ劇的な表現が建築・彫刻・絵画の各ジャンルで一層の進展を見せ、しばしばジャンルを統合した劇場的な表現を取るようになっていきました。