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BACK NUMBER #456 2015.1.24 O.A.
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人気騎手を襲った生命の危機 復帰への壮絶な戦い
2014年4月27日、後藤浩輝(40)は、いつものようにレースに臨んでいた。現役では、14人しかいない通算1000勝を挙げた、一流の騎手。しかし、レース最後の直線に入った時、乗っていた馬が転倒。頭から地面に叩きつけられた。後藤はぴくりとも動かない。競馬場の空気が一瞬にして張りつめた。係員が駆けつけ、声をかけても、何の反応もない。慌てて担架を呼び込み、動かない後藤の体をコースの外へ運び出す。後藤は、そのまま病院へと搬送された。診断の結果は、頸椎骨折。数センチずれていれば、即死していたかもしれない、重傷だった。
3週間後、後藤を訪ねた。首にはコルセットが巻かれ、うなずくことさえ医師に禁じられていた。病院に運ばれた直後、体の痛みと心の不安は想像を絶するものだったという。実は後藤は、以前、2度も同じようなケガに見舞われている。1度目は、2012年5月に行われた、NHKマイルカップで起きた落馬事故。前の馬に進路を塞がれ、後藤が乗る馬が転倒。振り落とされた後藤は、首の骨を損傷し、全治4か月の大けがを負った。そして2度目の悲劇は、1度目のケガから復帰する、その日に起きた。それは、レース前のこと。騎乗していた馬が突然暴れ、落馬。頭から地面に落ちた後藤は、頭蓋骨と頸椎を骨折。折れた頸椎にボルトを2本埋める大手術を受け、一命を取り留めた。それから1年半、今回が3度目。この3度目のけがは、後藤に過去2回とは違う思いをかき立てていた。初めて死を意識した。取り巻く環境も大きく変わった。1年前、待望の長女が誕生。そのぬくもりは後藤に、大きな力をくれた。ケガ後、子どもの顔を見た後藤は、20年を越す騎手人生で、初めて引退という文字を意識した。
そして、1週間が経った。引退か?それとも現役復帰か?後藤は悩み続けていた。どうしても頭から離れない輝かしい記憶。あの大歓声で込み上げた感動を忘れることなど出来ない。そして後藤は決断する、もう1度ファンの前に復帰することを。そんな思いを見舞いにやってきた妻に伝えた。
3度目の落馬から1か月半が経った、2014年6月10日。後藤は、栃木県の病院に移った。首を固定するコルセットは取れたが、思わぬ体の異変を訴えた。落馬の衝撃で、神経が圧迫され、右手の麻痺が起きていた。翌日、その右手のリハビリが始まった。粘土を少しずつ潰していく。地道なリハビリはすぐに結果など出ない。4か月もの間、辛い時間が続いた。そして5か月が経った9月。右手の痺れはようやく消え、後藤は騎乗のためのトレーニングを始めた。10月には、ムチを振れるまでになった。しかし、体は回復に向かっても、心はまだついて来ていなかった。
10月8日、落馬してから、初めて馬に乗るために、茨城のトレーニングセンターに向かった。すでに引退した、おとなしい馬に乗り、感覚を取り戻す。5か月半ぶりに馬に乗る。感じていた不安が、顔をのぞかせる事は、1度もなかった。そして、後藤の復帰レースの日が、11月21日の東京競馬場に決まった。
落馬から7か月、復帰戦に妻が長女を連れて駆けつけた。後藤がパドックに姿を現すと、この日を待っていたファンが声をかけてくれた。いよいよレースが始まる。妻は、心の底から無事を祈っていた。結果は、9着でゴール。後藤は7か月ぶりのレースを無事終え、安堵の表情を浮かべた。
3週間後、後藤を訪ねた。首にはコルセットが巻かれ、うなずくことさえ医師に禁じられていた。病院に運ばれた直後、体の痛みと心の不安は想像を絶するものだったという。実は後藤は、以前、2度も同じようなケガに見舞われている。1度目は、2012年5月に行われた、NHKマイルカップで起きた落馬事故。前の馬に進路を塞がれ、後藤が乗る馬が転倒。振り落とされた後藤は、首の骨を損傷し、全治4か月の大けがを負った。そして2度目の悲劇は、1度目のケガから復帰する、その日に起きた。それは、レース前のこと。騎乗していた馬が突然暴れ、落馬。頭から地面に落ちた後藤は、頭蓋骨と頸椎を骨折。折れた頸椎にボルトを2本埋める大手術を受け、一命を取り留めた。それから1年半、今回が3度目。この3度目のけがは、後藤に過去2回とは違う思いをかき立てていた。初めて死を意識した。取り巻く環境も大きく変わった。1年前、待望の長女が誕生。そのぬくもりは後藤に、大きな力をくれた。ケガ後、子どもの顔を見た後藤は、20年を越す騎手人生で、初めて引退という文字を意識した。
そして、1週間が経った。引退か?それとも現役復帰か?後藤は悩み続けていた。どうしても頭から離れない輝かしい記憶。あの大歓声で込み上げた感動を忘れることなど出来ない。そして後藤は決断する、もう1度ファンの前に復帰することを。そんな思いを見舞いにやってきた妻に伝えた。
3度目の落馬から1か月半が経った、2014年6月10日。後藤は、栃木県の病院に移った。首を固定するコルセットは取れたが、思わぬ体の異変を訴えた。落馬の衝撃で、神経が圧迫され、右手の麻痺が起きていた。翌日、その右手のリハビリが始まった。粘土を少しずつ潰していく。地道なリハビリはすぐに結果など出ない。4か月もの間、辛い時間が続いた。そして5か月が経った9月。右手の痺れはようやく消え、後藤は騎乗のためのトレーニングを始めた。10月には、ムチを振れるまでになった。しかし、体は回復に向かっても、心はまだついて来ていなかった。
10月8日、落馬してから、初めて馬に乗るために、茨城のトレーニングセンターに向かった。すでに引退した、おとなしい馬に乗り、感覚を取り戻す。5か月半ぶりに馬に乗る。感じていた不安が、顔をのぞかせる事は、1度もなかった。そして、後藤の復帰レースの日が、11月21日の東京競馬場に決まった。
落馬から7か月、復帰戦に妻が長女を連れて駆けつけた。後藤がパドックに姿を現すと、この日を待っていたファンが声をかけてくれた。いよいよレースが始まる。妻は、心の底から無事を祈っていた。結果は、9着でゴール。後藤は7か月ぶりのレースを無事終え、安堵の表情を浮かべた。
死の恐怖を乗り越え、戦い続けると決めた、後藤浩輝(40)。輝かしき、もう1つのバース・デイが来る日を待っている。