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BACK NUMBER #349 2012.10.6 O.A.

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元Jリーガー 京谷和幸41歳 車椅子バスケットへの思い
車椅子バスケットボール日本代表、京谷和幸41歳。
競技生活18年、日本車椅子バスケットボールの第一人者として活躍するベテラン選手。
車椅子バスケット界をリードし続ける京谷は、かつてJリーガーとして活躍し、将来を有望視されていた選手だった…。
今から34年前、京谷和幸は、プロサッカー選手になる事を夢見て、7歳でサッカーを始めた。そして、サッカーの名門、北海道・室蘭大谷高校に進学し、高校1年生から背番号10を背負いMFで活躍。チームを3年連続で、全国高校サッカー選手権出場へと導いた。この年、全国大会での活躍が評価され、バルセロナ・オリンピック日本代表候補選手に選ばれた。
高校卒業後、実業団チームの名門、古河電工(現・ジェフユナイテッド市原千葉)に入団。Jリーグのピッチにも立ち、今後の活躍が期待されていた。
だが…予期せぬ事故で、一瞬にして、選手生命を絶たれた。
古河電工の同期だった、陽子さんとの結婚式を2か月後に控えた11月28日。
練習を終え、結婚式の衣装合わせの為、自宅に帰る時だった。
突然、飛び出してきた対向車を避けようと、ハンドルを切り車が電柱に激突。
すぐさま、病院に運ばれ手術が行われた。
第5・第6胸椎を圧迫骨折。下半身不随に陥り、京谷は車椅子での生活を余儀なくされた。
22歳。Jリーグ開幕からわずか7か月の事だった。京谷は生きる希望を失った。
絶望の淵に立たされた京谷を再び甦らせたのが、車椅子バスケットボールだった。
事故から約1年後、京谷は車椅子バスケットボール界の強豪、千葉ホークスに入団し、車椅子バスケットボールを始めた。Jリーガーだった過去をかなぐり捨て、ただ、がむしゃらに車椅子バスケットボールに向き合った京谷。
はじめは、シュートさえままならなかったが、ひたすらボールを追い続けた。
競技人口、1000人以上。その中で、京谷は、日本代表選手にまでのぼり詰めた。
そして、シドニー・アテネ・北京と3大会連続でパラリンピック出場を果たし、日本車椅子バスケットボール界を牽引し続けた。
そして京谷はロンドンパラリンピックを最後に現役引退を決意。
41歳、車椅子バスケット歴18年。
京谷和幸の熱い戦いに密着した。
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