手作りフリップ(2022年10月16日放送)
「ヒジャブ」をめぐり 22歳の女性が死亡…イランで抗議デモが全土に拡大

イランの首都テヘランで22歳の女性がヒジャブ(スカーフ)のかぶり方が適切でないとして風紀警察に拘束され、3日後に死亡した事件。抗議の声はイランだけでなく、世界に広がりつつあります。
■医者になるのが夢だった女性が…
1人の女性のヒジャブのかぶり方に端を発したデモは、イラン全土に拡大しました。 アメリカのシンクタンクのまとめでは、9月の時点で、93か所で発生しています。亡くなったマフサ・アミニさんは大学入学前の最後の休暇に家族と北西部の町からテヘランに訪れていました。将来は医者になるのが夢だったといいます。
■ヒジャブは義務だけど…
イランでは9歳以上の女性のヒジャブ着用は義務となっていますが、そのかぶり方には地域差や個人差があります。イランで撮られた映像をみると、前髪を出すスタイルの人も少なくありません。 かぶり方を指導する風紀警察の取り締まりは、穏健派のロウハニ大統領の時代は緩やかでしたが、保守強硬派のライシ大統領になって厳しくなっていたといいます。
■「隠す」解釈に幅
イスラム文化で髪を隠す根拠となっているのがイスラム教の聖典コーランにある「かの女らの美(や飾り)を目立たせてはならない」という一節で、身内以外の前では髪や体のラインが隠れる服を着なさいという教えですが、その解釈には幅があります。
・もっとも代表的な装いがアラビア語で「覆うもの」を意味するヒジャブです。さまざまなバリエーションがあり、カラフルなヒジャブはファッションの一部となっています。
・イランでは、チャドルと呼ばれる黒い一枚布を纏うこともあります。
・全身をすっぽり覆い、目だけが出ているニカブはサウジアラビアなどで着用されます。
・網で目の周りも隠すブルカは、イスラム教を極端に解釈するタリバンが復権したアフガニスタンなどで着用されています。
■過去にはヒジャブ禁止令も…
イランの女性の服装は時代によって大きく変化してきました。これは10月撮影された、イランの国会。女性議員たちはみなチャドルを身につけています。
一方、70年代中盤に撮られたイランの国会議員の写真。スカート姿で、誰もヒジャブを被っていません。パーレビ王朝時代には、ヒジャブは一時、遅れた文化と見なされ、被ることが禁止されたこともありました。60年代には親米の国王が西洋化を進める一方、イスラム教の勢力を弾圧したため、国民の不満が噴出。1979年イスラム法学者のホメイニ師が主導した「イラン革命」でイスラム共和国になると、ヒジャブ着用が義務づけられるようになりました。
■揺らぐ「イスラム国家」のアイデンティティ
今回の事件をめぐっては、政府の対応を支持するデモを行っている女性たちもいて、彼女たちは黒いチャドルに身を包んでいます。一方、政府を批判するデモでは女性がヒジャブを脱いで抗議するなど、イスラム国家のアイデンティティまで揺さぶる異例の事態に発展しています。