手作りフリップ(7月2日放送)
「戦後最大…タカタの経営破たん」

国内の製造業として、戦後最大の破たんとなったタカタ。
そのHPにはこんな言葉があります。
「タカタの願い」、それは「自分たちの製品が活躍しないこと」。つまり、エアバッグが必要となる自動車事故が起きないことこそが、企業の願いと掲げたのです。

タカタが創業したのは今から84年前。パラシュートなどを製造していたタカタは戦後、車のシートベルトの研究に着手。このパラシュートのベルトなどをヒントに、1960年に日本で初めて2点式シートベルトの販売を始めました。さらに、1977年には日本初のチャイルドシートの販売開始。
問題となったエアバッグの量産が始まったのは1980年で、運転席用では世界初のことでした。タカタは安全技術で高い評価を得て、約20ヶ国で事業を展開。エアバッグで世界シェア2位にまで成長したのです。

暗転するきっかけが、まさにこのエアバッグの不具合でした。
アメリカで不具合の報告がされ始めたのは2004年。このようにエアバッグは事故の衝撃で膨らむものですが、エアバッグが膨らむ際、異常破裂を起こし、自動車の金属部品が飛び散るなどし、けが人が出たというものでした。

のちに欠陥はエアバッグを作動させるガス発生装置と判明。 しかし、2008年にはアメリカで、自動車メーカーによる初めてのリコールが行われますが、原因究明は遅れ、タカタの対応は後手に回ります。アメリカで初めての死亡事故が起きたのは2009年。死者は合わせて11人に増え、リコールはその後、全米に拡大。しかしタカタは2015年まで全米リコールに同意せず、アメリカの司法省は文書で「安全より利益を優先した」と厳しく指摘しています。
全世界でのリコールはおよそ1億個に達し、タカタの負債総額は1兆円を超える見通しとなりました。

タカタの対応が遅れた原因のひとつとして、指摘されているのが親族による、いわゆる同族経営です。これまでタカタの経営は、このように3代にわたり高田一族が経営してきました。
自動車アナリスト中西孝樹さんは、「タカタの株は6割を高田一家が保有していて、株主によるチェックなどが働かず、大手企業としては経営判断を監視する機能が十分でなかった」と指摘しています。
