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観劇コメント No.15(デーモン閣下)

2018.08.22

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グハハハハハハハ〜、100055歳の吾輩も観にいったぞ!
「旬」は旬のうちに愛でるのが良ひ。そう思った。
(以下文中登場人物の敬称は全て省略、了承されたし)

開演30分くらい前、楽屋裏通路でばったり橋本じゅんと遭遇。
簡単な「久し振り〜」的会話の直後彼は吾輩に言った。
「閣下、今日観劇ですか、…さとし、すっごい良いですよ!」と。
こちらが何も聞いていないのに、いきなりの発言だ。
この光景にかなりの全てが凝縮されている「disc1」。
橋本さとしの劇団公演復帰&かなり久々(であろう)共演を心から喜び続けている日々であることが、手に取るように分かる躍動感に満ちた『じゅん』の表情と軀の張りであった。
ちなみに吾輩は「劇団☆新感線」とは魔暦前9(1990)年から交流があり、W橋本:じゅん・さとしともこの約25年間で数々諸作品で共演してきている。

さて、実際の観劇レポートはここからだ。
まずは橋本さとし。じゅんの言う通り、素晴らしかった。
吾輩が今まで観たさとし出演作品の中で彼は今回最も「ロック・スター」だった。
「ロックな新感線」への「ロックな看板役者」としての見事な復帰…否、最高の形での復帰。
まるでこの作品のためにさとしは、いのうえ座長から武者修行に20年間くらい出されていたのではないかと勘ぐってしまうくらいの出来だ…いや実際そういう大人の計画だったのかも知れない。
往年の「新感線」ファンにとっては、オープニングでもう感涙ものに違いない。さとし&新感線の劇団員と何十回も共演してきた吾輩も感無量&感激であった。
そしてさとしは最後の場面まで「ロックな看板役者」として最高であった。ブラボー!

さて、そんな私情を差し引いても、当該公演は「史上最強の『ROCK OPERA』」だ!と観劇後第一に吾輩は感じた。
それはロック・コンサートに「芝居」が付いているという見方もできる水準のROCKだった。プロ30年超の吾輩が言うのだから間違いはない。
そう見えるのに、しかし実はシェイクスピアの四大悲劇の一つ「マクベス」の物語をかなりちゃんと踏襲しているという点がまた凄い。相当の才能がないとこんな「古典の現代娯楽化」はできない。
その上に、
これでもかと繰り広げられる「大仕掛け」の数々。主として視覚的要素だが
「どんだけ金掛けとんねん?」と思わず大阪弁で口に出してしまったほどだ。
360度舞台でしか出来ない演出も満載であった。
「アミューズメント・パーク」という視点でも、一回見ておく価値があるくらいの「未体験の数々」だ。
この芝居(60%はロック・コンサート)を観に来たロック・アーティストのかなり多くは
「こういうのやりたいなあ」とうらやむはず。日本に留まらず、世界の他のアーティストが観てもきっとうらやむはず。
吾輩も「これ、何かの役で出たかったな〜」と思ったこの「究極のTHEATORICAL ROCK」。
ロブ・ハルフォード(演出のいのうえ氏が敬愛するHRバンド:ジューダスプリーストのヴォーカリストであり、新感線作品の聴覚・視覚に何気に多く登場している)にも見せてやりたいと吾輩は思うのだが、招待状とか送っていないのかなぁ。本人が見たら、ゼッタイ嬉しいと思うはずだ。

既に長文になって来たので細かくは言及できないが、W橋本以外でも、夫人を演じる濱田めぐみ嬢の可愛くsexy・狂気さをはじめ、周りを固める役者たちも誰もが個性豊かでスキがなく、素晴らしいものであった。こういうのはなかなか珍しい。
どんな名作でも大概一人くらい
「この役…この俳優ちょっと違うんじゃない?」があるものだが、
今回はそれを全く感じなかった。つまりみんな「はまり役」だと吾輩は思った。
制作や演出がそう導いているのかも知れないが。

時代、劇場の特性、劇団母体の「旬」度などの点で、2度とこんな感じのこの規模の「ROCK OPERA」は日本でも世界でも、もう無いだろう、と吾輩は直感的に思った。
…が、良く考えると、役者がほとんど違うという点で「別作品」だから、
「disc2」や「disc3」が「もう無いだろう」を継承、または更新していってくれる可能性は大で、それを大いに期待している吾輩なのでもある。
「disc2」や「disc3」もまた観に行こうと思っている。途中休憩込みで4時間という大作だが、濃い原作、テンポの良い芝居と演出にて吾輩は一回も「ダラダラしているな」と感じることは無かったので。

で、
「旬」は旬のうちに愛でるのが良ひ。なのだ。
↑これ、既存の誰かの言葉かなぁ? もしも特にそうでないとしたら、吾輩DKの「迷言集」に加えておいてくれ給へ。
ドュワハハ、ハハハハハ〜!

デーモン閣下