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パナソニックスペシャル『オリンピック代表達の真実の絆』

あなたの大切な夢や絆は何ですか?

6月18日(水)よる6:55放送

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真実のドキュメント

ダルビッシュ有

野球日本代表 ダルビッシュ有

ダルビッシュ有投手。中学生で世界大会に出場し、甲子園では2年生の時からエース。ドラフト1位でプロ野球に入団し、その活躍は留まるところを知らない。 順風満帆に見える野球人生だが、実は知られざる過去があった。
ダルビッシュが幼い頃、父親が枕元に野球とバスケットボールとサッカーのボールを並べると最初に手に取ったのは野球のボールだったという。
有は小学2年生で野球を始めた。両親は野球を通しての人間的な成長を期待したという。中学に入学すると地元でも練習と規律が厳しいと有名なチームに入団する。中学2年生で身長184cm。急激な背の伸びによる成長痛にダルビッシュは悩まされた。
東北高校に入学。1年生の時はまだ成長痛があり、体作りを徹底的に行なった。プールでのウォーキング、ストレッチを繰り返す日々が続く。
そして高校2年生ではエースとして甲子園に出場。3年生ではキャプテンに立候補した。チームを引っ張りながら人間としても成長する。
ダルビッシュ本人のインタビューは勿論、両親や恩師、親友へのインタビューも交えながら、日本のエース誕生の真実を追う。

フェアリージャパン

新体操日本代表 フェアリージャパン

昨年9月見事オリンピックの切符を手に入れた新体操日本代表は、全員が女子高校生であることでも大きな注目を集めた。彼女たち9人は全員同じマンションに住み、共同生活をしながら一日8時間という練習の日々を送っている。
合宿が始まったのは北京五輪800日前となる2006年4月。合宿を提案したのはロサンゼルス五輪で8位入賞した山崎浩子だ。山崎は現在、新体操強化本部長として選手たちの指導に当たる。親元を離れて暮らす選手たちにとっては、時として母のような存在でもある。
オリンピックに向けての選手の人選はこれからだ。共に暮らし、笑い泣く彼女たちだが北京に行けるのは9人のうち6人だけなのだ。

赤羽有紀子

陸上女子10000m 赤城有紀子

「母は強し!」赤羽有紀子はその言葉を信じて日々の厳しい練習を乗り越える。 カメラは赤羽選手の妊娠から出産そしてオリンピックを目指して奮闘する家族の3年間を追った。
赤羽選手と夫の周平さんは2005年に結婚。子どもは若いうちに欲しかったという赤羽選手は、2006年に8月に出産。出産二日目まで走っていたという。そして、産後1ヵ月、歩くことから練習を再開する。産後わずか3ヶ月でレースに復帰。娘の優苗ちゃんに最高の走りを見せたいと願う赤羽選手は筋肉トレーニングも積極的に行い、記録を伸ばしてゆく。
赤羽選手が練習に集中できるように、日々キッチンに立つのは周平さんだ。
2007年12月、赤羽選手は国際千葉駅伝の日本代表に選ばれ、最終6区でアンカーを務めた。このレースで赤羽選手は長距離女王、キャサリン・ヌデレバとの熾烈な対決を制して日本を逆転優勝に導いた。
そして今年3月16日の全日本実業団ハーフマラソンに出場。周平さんと優苗ちゃんが懸命に声援を送る。その応援を背にアテネ五輪金メダル野口みずき選手の記録を更新する大会新記録でゴールする。

松田丈志

水泳男子200mバタフライ 松田丈志

松田丈志選手と久世由美子コーチが出会ったのは20年前、松田選手が4歳の時だ。そのスイミングクラブは水泳好きの仲間が集まって発足したボランティアクラブで、プールには屋根もなかった。それで父母とコーチたちはせめてもの風除けになればとプールをビニールハウスで覆った。
松田選手はそれほど強くはなかったが、負けず嫌いで、人一倍速く泳ぎたいという意識を持った子どもだった。久世コーチはそんな松田選手に一流選手の泳ぎを見せて自分の足りないものを吸収させた。
そして小学3年生の時、九州大会で8位に入賞する。やがて松田選手は高校日本一になり、師弟の夢はさらに膨らんだ。
松田選手は久世コーチと共に中京大学に誘われる。久世コーチはコーチでありながら主婦でもある。何ヶ月も家を空けることができるのだろうか。悩む久世コーチに夫は後で後悔しないよう行って来いと背中を押した。
松田選手はアテネオリンピックに出場するがそれは決して満足するのもではなかった。その悔しさを胸に秘め、松田選手と久世コーチは今年北京に挑む。