1970年代後半、オリンピックがボイコットの懸念を抱えるようになったため、「真の世界一決定戦」を求める機運が高まり、世界陸上は誕生した。今大会には若き日のC.ルイスやS.ブブカも出場し金メダルを獲得している。
誕生当初は4年に1度だった世界陸上。男子100mはベン・ジョンソンが史上初の9秒8台を出すが、後年ドーピングで抹消となった。一方、女子走高跳S.コスタディノヴァの世界記録2m09は、その後2024年にY.マフチクに更新されるまで、37年間残り続けた。
女子マラソンの山下佐知子が世界陸上で日本初となる銀メダルを獲得すると、最終日には男子マラソンの谷口浩美が金メダルの偉業を成し遂げた。男子100mではC.ルイスが世界新で優勝。走幅跳でも大跳躍を見せたが、ライバルM.パウエルが世界新でそれを上回った。
女子マラソンで浅利純子が金メダル、安部友恵が銅メダルを獲得し、マラソン大国として日本の名を知らしめた。大会最終日最終種目、男子4×400mリレーでは、アンカーにM.ジョンソンを置いたアメリカが、現在も残る世界記録2分54秒29で優勝を果たした。
前回大会の勢いそのままにMJが大活躍。大会5日目に大会新で400mを制すると、7日目にはこちらも大会新で200mを制覇。最終日には4×400mリレーも制し「200・400・マイル」という、今なお例を見ない変則の3冠を成し遂げた。
女子マラソン鈴木博美が金メダル。このあと日本女子として4大会連続でメダルを獲得する先陣を切った。男子100mは当時まだ無名のM.グリーンが優勝。以降、世陸3連覇、世界新樹立と一時代を築いた。そして"鳥人"S.ブブカは、大会新で前人未到の6連覇。伝説を残した。
男子400mでMJが驚異の世界新記録43秒18を樹立。当時31歳。「90年代最高のアスリート」と言われながら、限界説もささやかれた中での偉業だった。これでMJは世界陸上4連覇(200mも合わせると5大会連続金メダル)。翌年のシドニー五輪金メダルを最後に現役を退いた。
男子ハンマー投では"鉄人"室伏広治がフィールド種目として初の銀メダル。男子400mハードルでは身長170センチの"小さな大ハードラー"為末大がスプリント種目初の銅メダル。女子マラソンでは土佐礼子が粘りの走りで銀メダル。世界を驚かせた。
日本中を沸かせた末續。決勝での2度にわたるスタートやり直しにも折れず、日本人の特性を最大限生かした走りで、スプリント界悲願の銅メダルを獲得した。また女子マラソンでは、野口みずきと千葉真子が銀と銅、男子ハンマー投では室伏広治が銅メダルに輝いた。
03年パリ大会直前に父・敏行さんを亡くした為末。父にメダルを、という願いは2年後に叶った。豪雨の男子400mハードル決勝、最後は執念のダイビングで100分の8秒差を制し、銅メダルをもぎ取った。海外勢では、「ワールドレコードアーティスト」Y.イシンバエワの世界新が印象を残した。