8月4日開幕

世界陸上で生まれた世界記録27

競歩界最多金メダル男が渾身の記録挑戦、得意の終盤勝負ではなく中間点前から独歩

競歩界では“グレート”の尊称とともに呼ばれていたロベルト・コジェニョフスキ(ポーランド)が、パリ大会50km競歩に3時間36分03秒の世界記録で3回目の優勝を飾った。
当時35歳。前年に3時間36分39秒の世界記録を出していたが、大試合の強さが特徴だった。そんなベテラン選手が、自身の得意パターンを崩して記録に挑んだ。

五輪では1996年アトランタから2000年シドニー、パリ大会翌年のアテネと3連勝。シドニーでは20kmも勝って競歩史上唯一の2冠を達成している。世界陸上と合わせて生涯7個の金メダルを獲得した。その7回のうち唯一世界記録を更新したのがパリ大会で、コジェニョフスキはフィニッシュ後に「競技人生で最もタフだった」と振り返るほど自身を追い込んで歩いた。

世界陸上では1997年アテネ大会も2001年エドモントン大会も、終盤でスパートする必勝パターンで制した。それがパリ大会では22kmで先頭集団からリードを奪い始め、残りの28kmを独歩したのである。
100%の自信があったわけではなく、「世界記録を更新すること以外の望みはなかった」と記録に挑戦した。44分台だった10km毎のスプリットタイムを、20km以降は42分台にまで上げて歩いた(マラソンなら3時間前後のペース)。自身の世界記録時との通過タイムの差を、30kmの41秒から40kmでは14秒に縮め、フィニッシュでは36秒上回った。

だが、コジェニョフスキのお株を奪うような歩きを見せたG・スクルジン(ロシア)に、45kmでは6秒差まで迫られるシーンもあった。競歩は後続選手とすれ違う周回コースなので(パリ大会は1周2km)、後ろとの差がいやでもわかる。「いつ抜かれるかと、ひやひやしていた」
そこから残りの5kmで、勝負強さを見せて39秒まで差を広げたのは、“グレート”と言われた男の面目躍如だった。練習拠点をフランスに置いていたため、観衆の声援がコジェニョフスキを後押ししたのは確かだろう。
「まさか、ここまで速いペースで歩くことができるとは思わなかった。最後の12kmは本当に疲れたよ」

競歩の最多金メダル男は、パリ大会のときから明言していた通り、翌2004年シーズンを最後に一線を退いた。アテネ五輪は暑さで記録に挑める大会ではない。好条件の予測できた準地元のパリ大会が、ラストチャンスと決めての世界記録挑戦だった。
レース後、新記録恒例のタイマー撮影時には、速報用時計の横に座り込んでしまったコジェニョフスキ。両手を挙げてガッツポーズはとったが、下半身は立っているのもつらかったのかもしれない。

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