8月4日開幕

世界陸上で生まれた世界記録27

いつ出てもおかしくなかったエドワーズの18m “三段跳び世界陸上”の開幕

ジョナサン・エドワーズ(イギリス)がスピードの速い助走からホップで6m12、ステップで5m19、そしてジャンプで6m85と3つの跳躍を連ね、男子三段跳びの最初の試技で18m16をマークした。世界陸上イエテボリ大会3日目の1995年8月7日のこと。人類初の18mジャンプであり、“三段跳び世界陸上”と言われた大会の幕開きだった。

跳躍直後は砂場の脇で跳びはね、正式記録が発表されると両手を広げた後、頭を抱え込んだ。ただ、エドワーズの喜び方にはいつも、落ち着きが感じられる。東京大会走り幅跳びのマイク・パウエル(アメリカ)のように、子供のようなはしゃぎ方ではないのである。
競技後も「1回目の試技はいつも通りの跳躍でしたね。いきなり18mを超えたことには、自分でも驚きましたが」と、冷静なコメントで振り返っている。

この日18mが出ることはある程度、周囲もエドワーズ自身も予想していた。6月25日のフランスの大会で、追い風2.4mで参考記録となったが、18m43の特大ジャンプを見せていたのである。追い風2.0mまでの公認許容範囲内の風でも、18mは出ていただろう。

当時の世界記録はW・バンクス(アメリカ)が1985年に出した17m97。追い風参考も含めた人類初の18m台は、そのバンクスが1988年に跳んだ18m06だったが、4.9mと追い風がアシストした記録だった。惜しかったのは1992年バルセロナ五輪でマイク・コンリー(アメリカ)が出した18m17。追い風2.1m。あと0.1m風速が弱ければ、初の18m台はコンリーの功績となっていた。

エドワーズは7月2日に18m03(追い風2.9)、同18日には公認で17m98の世界新、7月23日にも18m08(追い風2.5)と好記録を連発していた。18m台の実現を期待する空気が、イエテボリは満ちていた。

ちなみに、日本の田島直人が世界初の16m台となる16m00で、ベルリン五輪に優勝したのが1936年のこと。ポーランドのヨーゼフ・シュミットが、初の17m台となる17m03を跳んだのは1960年。16m時代は24年、17m時代は35年続いた。18m時代は50年以上は続くだろうか。
ただ、大台が破られた日付は田島の16mが8月6日、シュミットの17mが8月5日、エドワーズの18mが8月7日と、三段跳びらしくきれいに3日間で並んでいる。

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